『静かの海のパライソ2021』考察未満の雑感

わずか7公演で終わってしまったあの日から、ずっと待ち望んでいた「静かの海のパライソ」。気づいたら残すところ宮城公演のみとなり、大千秋楽が一歩ずつ近づいてきました。

 

初演から大きく変わった演出は、記憶の限りだとほとんどなくって

倶利伽羅くんと豊前くんのソロが変わったくらい?)

基本的には初演で伝えようとしていたものをそのまま届けてくれた印象です。

 

刀剣男士は言うまでもなく「歴史を守る」のが使命で、それが彼らのアイデンティティでもあるわけですが、ではその守るべき「歴史」とは何なのか――。

刀剣乱舞の派生作品である刀ミュ・刀ステともに「歴史」に向き合いながらその本丸ごとの答えを探しているのかな、なんて思っています。

 

過去作含めたネタバレあります

 

刀ミュ本丸では、阿津賀志山の「どうしてれきしをかえてはいけないの?」という今剣のシンプルな疑問から始まり、「歴史」を守るために元の主の命を絶つこともあれば(天狼傳、むすはじなど)、そのために長期にわたって主を育て上げたこともありました(みほとせ)。

 

刀ミュ本丸には「三日月宗近という機能」があって、「歴史の流れの中で悲しい役割を背負わされれた人」を歴史の流れを変えない程度に救うことができます。『つはもの〜』から登場した概念で、明確な描写があったのは、パッと思いつくのだと『つはもの〜』の泰衡殿、や『天狼傳』再演の沖田くん、『東京心覚』の将門公あたりかな。

 

「歴史の流れを変えない程度」というのは、裏を返せば救える人は限られていて、全ての人に等しく手を伸ばすことはできないんだよね。そこに懐疑的なのが明石国行ってわけですが、この辺は前に別エントリで書いたので割愛。

ご参考までに

 

ucok.hatenablog.com

 

 

 

さてパライソに話を戻します。

今回の任務は「島原の乱」の歴史を守ること。

『東京心覚』では水心子くんが疑問をいだいていましたね。「この歴史は守るべきものなのか?」と。

 

島原の乱もまさにそれで、この歴史を守るというのは、つまりは凄惨な結末へ導くこと。そりゃ主も言い淀むわ……

 

大まかな流れはこっちのエントリにあります。

 

ucok.hatenablog.com

 

 

そして『パライソ』で「悲しい役割を背負わされた人」は「三日月宗近という機能」では救いきれない多くの人々。完全に詰みなんですよね。

 

でもね、詰んだ状況でもなんとかしなくちゃいけないのが刀剣男士なんですよ……

 

そんな中で隊長となった鶴丸が選んだのは「鬼になること」でした。

鶴さん、会話のキャッチボールをしないんだよね。一見コミュニケーションをとっている風なんだけど、この任務に誰かが疑問を抱きそうな流れになると、断ち切って別の話に無理矢理繋げる。

 

一番わかりやすかったのは、一揆軍の少年と仲良くなった浦島くんに対してかな。

倶利伽羅くんが「あまり深入りするな」と告げたんだけど、その真意までは語らせなかった。

倶利伽羅くんは『三百年〜』で、一介の農民・吾兵と心を通わせたものの、彼は時間遡行軍にやられて命を落としてしまった。「まるで兄弟のようだった」とのちに青江さんが語ったくらいの関係だったからこそ、ひどく胸を痛めたことは想像に難くない。だからこそ「あまり深入りするな」という言葉が出てきたんだと思うんだけど、鶴さんは先回りして、倶利伽羅くんの意図が伝わる前に「歴史が変わってしまうから」とそれっぽい理由をつけて浦島くんにその先(少年たちに必ず訪れる死)を考えさせないようにしていたんです。

 

それ以外にも先回りして会話をぶった斬るぶった斬る。主が部隊に告げようとした任務先、右衛門作の説明をしようとした松井の言葉、右衛門作が吐露しようとした思い……

 

メタなことを言ってしまうと「ここで全てを言ったら物語としての面白さが半減する」っていう技術的なこともあるとは思うんですが、それだけじゃなく、たどり着く結末のために仲間たちの心の負担を減らそうとしていたのかな、なんて。

 

そして「パライソ」は背景の月が他作品よりも印象的だったんだけど、鶴さんが本心を隠しているであろうシーンの月は全て雲がかかっていたり、ちょっと欠けていたりして見えないんだよね。

でもね、「見えない部分も月」だし(つはもの)、「見えていなくてもそこにある」(心覚)んですよ。鶴さんが彼らに見せていた姿は、鶴さんの一部でしかないんだ。

 

そんな鶴さんの見えない部分もちゃんと見て、察して、支えてあげた倶利伽羅くん、最高にかっこよかったです。ヒールに徹しているのがわかっているからこそ、自分も「共犯」になった。己のことをあまり語らない倶利伽羅くんが、剣舞をしながら鶴丸への思いを歌うだなんて、予想だにしてなかったよ。

興奮して書き散らかしたふせったはこちら。

 

ちなみに初演では謎の筋トレソングだったんですけど、もう曲もなにもかも覚えてなくて、懸垂してたな、とかそういう朧げな記憶しかないんだ……。パンフレットにある上着なし倶利伽羅くんがそのときのです。

 

 

『静かの海のパライソ』は、救いのない地獄を描いた作品ですが、同時に彼らが軌道修正して辿り着いた壮絶な結末は、実際に起きた出来事でもあります。

お話の作りとしてはとてもわかりやすく、メッセージもとてもシンプルだったな。だからこそちゃんとした形で届けてくれたのが本当に嬉しくて。

歴史上の人物ではなく、市井の人たちの歴史を描いたからこそ、『東京心覚』にも繋がるし、また違う角度から物語を味わえるような気がしています。

 

伊達の刀が率いる部隊は、いよいよ仙台へ向かいます。

どうか、あのとき見られなかった大千秋楽の景色を、その地で見せてください。残念ながら現地に足を運ぶことはできませんが、配信で見守りたいと思います。