『花影ゆれる砥水』初見の感想

ついに、ついにミュージカル『刀剣乱舞』の新作の幕が上がりましたね。まずは東京公演完走おめでとうございます。

今回から脚本が伊藤栄之進さんから浅井さやかさんにバトンタッチ。浅井さんの書く刀ミュの歌詞は大好きだし、「江 おんすていじ」も好感触だったのですが、のしんさんのホンがあるからこその刀ミュだと思っていたので、自分の気持ちがどっちに転ぶか正直不安でもありました。まずは自分の目で確かめなければ始まらない、と思って3バル見切れ席(ほとんど見切れなかった! TDCホール愛してる!)のチケットを握りしめて現地に向かったのですが、見終わった後の脳直ツイートがこれ。

 

 

「脚本家が変わった」というのは強く感じたものの、ミュージカル『刀剣乱舞』としての手触りは変わっていなかったんですよね。むしろ、これまでにない「刀剣乱舞」への視点がプラスされて、「そうか、そうだったのか!」と、目から鱗と涙がボロボロ落ちてしまっていました。この寄り添い方が愛おしいんだよ……

 

以下、過去作品も含めて息を吐くようにネタバレを書いていくので、それでもいい方だけ読み進めてください。

 

 

今作のタイトルと配役が発表されたとき、なんとなく「刀そのもの」にグッと寄ったお話になりそうだなーなんて思っていました。

 

 

 

もちろんアタシ以外にもそう感じている人が多くて、歴史上の人物の名前だけでその刀周辺の話をさらっと予想できるようになるくらい、ジャンルとして育ってるの、シンプルにすごいよね。

 

劇場に入った途端、デーンと鎮座する刀身の姿が目に入る。幕に装飾されているのかな? 両サイドの幕にも刀が入っていて、あぁ、やっぱりテーマはそうなのだな、っていう確信に変わる。

(ちなみにあの刀は銘が打たれてなかったですよね。目釘穴はあったかな、記憶にない……刃文も直刃で特に特徴的なものではなかったように記憶してるのですが、大きな括りとしての「刀」でいいんですかね? 有識者~~~~)

 

追記:こちら、もしかしたら……なのが浮かんでしまったのですが、現地でもっかい確認してからにします。あんま適当なこと言いたくないので。

さらに追記:凱旋見たら全然違いました! へたなこと言わないで良かったーw  目釘穴は1つ。当然銘は打たれてなかったね。

 

物語は、御所が襲われ又三郎(後の本阿弥光徳)が刀を守ろうとするシーンから始まります。「義輝が討たれた」と言っているので、あれはおそらく「永禄の変」だろうね。光徳はこのとき刀の声を聞き、刀にのめり込んでいくーー。

てな感じで幕を開けるのですが、本編で描かれた歴史的な大きな出来事は実はこれくらい。そしてそれがこの作品を「新しいもの」にした最大の要因なのかなって思います。

 

『花影ゆれる砥水』は、「刀剣男士が守るべき歴史」のお話ではなく、「刀剣男士そのもの」のお話だったんです。

 

今回の敵の狙いは豊臣秀吉……ではあるんだけれども、時間遡行軍のやり口もどんどんトリッキーになってきていて、歴史上の人物を狙うだけでなく、刀剣男士に関わる歴史を修正して戦力を削るっていう戦法も取るようになってきました。聚楽第に火を放って後の世に名刀が残らないようにしようとしたりしてね。チッ、両方向から攻めてきやがるぜ……

そんな中、もう一振りの「一期一振」が秀吉の元に届きます。そして、その刀から顕現したのが「カゲ」でした。

 

「刀剣男士」とは、審神者の手によって顕現された付喪神で、その拠り所となっているのはさまざまです。現存している刀そのものだったり、刀自体はないけれども強い物語があったり、特定の刀ではなくその集合体だったりといろんなパターンがありますが、彼らには「歴史を守る」という明確な使命があります。

では、彼らの「敵」=「時間遡行軍」は何者なのかというと、明言こそされていないけれども「名もなき刀の成れの果て」ではないかということがこれまでの刀ミュの中で示唆されてきました。さらには、名のある刀から顕現した刀剣男士未満の存在=『葵咲本紀』で稲葉江から顕現したセンパイなんかもいますね。

 

さて、「カゲ」。審神者ではなく、持ち主の想い(この場合は吉光の刀に固執する秀吉の想いって考えるのが妥当な線かな)を受けての顕現だから、センパイに近い存在だとは思うのですが、ただ、この個体を生んだ刀は、歴史的には「存在しない(とされている)刀」。生涯に一振りしか作らなかったという吉光の太刀から生まれたのならば、じゃあ「大阪の陣で焼け、元の状態から磨り上げられている一期一振」から顕現した、刀剣男士・一期一振はどうなってしまうのかって言う話になってしまうわけです。どちらかが“じゃないほう”になってしまうのですが、それが「本阿弥光徳の極め」ひとつにかかっているっていう……

 

こっっっわ!!!!!

 

そして光徳は、吉光の真打を磨り上げたくない一心で、「影打ち」を本物だとし、いち兄とカゲが入れ替わってしまう。

 

こっっっっっっっわ!!!!!!!!!!

 

でもそれは、彼らが守らなければいけない「歴史」そのものにはさして影響がなく、なんならカゲの活躍で任務はつつがなく遂行されつつあり、ただいち兄の存在だけをだんだん感じ取れなくなっているっていう……

 

こっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっわ!!!!!!!!!!!!!!

 

でも、大きな歴史の流れからしてみれば、正直、刀の存在も「瑣末なもの」でしかないんだよね。刀剣男士を愛してしまっている身としては、は?瑣末だと~?って叫びたくなるわけですが、その刀がなかろうとおそらく歴史にはそこまで影響がないだろうし、刀の来歴があやふやになってしまいその刀剣男士が生まれなくなったとしても、大きな歴史の流れはなに一つ変わらないんだ。たとえどんな名刀であっても。

 

個人的にすごく印象的だったのは、長義と小竜のやりとり。

 

かつて放棄された世界を見ている長義は(江水で「あの世界」を知っているものとして名前があげられているよ)、江水で世界が放棄されゆく様を見た小竜に問いかけるんです。「あの世界をどう見た?」と。小竜の答えは「俺もそのひとひらだ」と。

さらに別のシーンでは「歴史を作るのは人間だ」という長義に対し、小竜は「歴史をつくるのは力のある人間だよ」とも付け加えます。

 

刀も、市井のアタシたちも、歴史を作っているわけではない。でも、確かにそこに存在していて、そこにはちゃんと想いがあるんだ。だからこそ、小竜はきっと「俺もそのひとひら」だと答えたんだろうし、この視点こそが、ミュージカル『刀剣乱舞』をミュージカル『刀剣乱舞』たらしめているものなんだと思っています。数多の命に、その想いが注がれているんだ。だからこそ、自分たちの任務に支障がなかろうと、大切な仲間である一期一振を連れて帰ろうとするんだよね。

では、存在するはずではなかった「カゲ」は捨て置いていいのか?という話なんだけど、ここで思い出してほしいのが、『葵咲本紀』での御手杵と貞愛のやり取りだ。

「忘れられることは怖くないのか?」「だったらオレが覚えていらあ!」

誰かが覚えていると言うことは、たとえ形がなくなっても存在しているってこと。

だから、存在するはずじゃなかった「カゲ」は「忘れてくれ」って言うんです。でもね、いち兄が言うんですよ「兄弟のことを忘れるわけがない」って。伽藍堂だったいち兄の中には「カゲ」が入った。カゲは影だから空虚さを埋めることはできないけれども、それでも伽藍堂の中に何かがある状態になった。それってすごく大きいと思うんだ。あぁ、書きながら思い出し泣きしそう。

そして、かつて笑顔が硬いと秀吉に罵られたカゲだけど、いち兄の胸の中で、笑顔で果てていくんだよね。うまく笑えんじゃん、カゲ~~~~~~(号泣)。

 

笑うは咲う。そして花が咲き、散る。

 

ラストに歌われた「詠み人知らずの歌(仮)」は、冒頭の曲と歌詞が対になっていました。

 

「その花は名前を呼ばれ その歌は詠み人絶えず」

歴史に名を残し、多くの人に語られる物語がある一方で、

 

「かの花は呼ぶ名を持たず かの歌は詠み人知らず」

誰にも知られることがない数多の人たちがいる。その歌は残っていないかもしれないけれども、でも「想い」はそこにあったんだよね。これまでの物語と地続きだなって強く感じたのは、こういった想いがきちんと描かれていたからなのかもしれないなぁってふわっと思いました。

 

歴史の大きなうねりに比べたら、ダイナミックさには欠けるかもしれない。だけれども、優しくて温かい想いがそこには流れていたよ。だから、だから刀ミュくんが好きなんだなあ……

 

さて、今日から地方公演が始まります。まずは皆様が無事で駆け抜けられますように! 立川ステージガーデンが死ぬほど嫌いなので(突然のヘイト)チケット取ってなかったですが、この物語にもう一度会いたいので当日引き換えか何かでなんとかしようと思います。あと、長義……長義……オレたちの死……