“最後の事件”を目撃してきました ーミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.5ー

2019年の日比谷での衝撃的な出会いから早4年。

ついに「モリミュ」ことミュージカル憂国のモリアーティが「最後の事件」に辿り着きました。

 

これまでの作品に関してはこちらを参照いただければ~。

(Op.4だけちゃんとまとめれてなかったけど)

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「最後の事件」。

それはシャーロキアンじゃなくても耳にしたことがある有名なエピソードで、

原典のそれが意味するのは「モリアーティー教授の死」です(シャーロックもなんだけど、続編もあったりするのでこの辺はグレーでw

 

本作では、ミルヴァートンにより犯罪卿がウィリアムであると暴露されたことで、「モリアーティプラン」が一気に加速していきます。当初の予定では、貴族と市民共通の敵となった“モリアーティ”(つまりは三兄弟)の死で完結するはずだったのが、いつの間にか“ウィリアム”の死がこのプランのゴールになっていました。

 

そう、ここでは「最後の事件」≒「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティの死」なんです。

 

Op.5では、ウィリアムにはずっと「死のようなもの」がまとわりついていました。その辺の演出は視覚的にもわかりやすく、不気味なマスクを被った人たちが常にウィリアムを取り囲んでいましたね。「死神」なのか「亡霊」なのか「死への誘惑」なのかはわかりませんが、“あちら側”の人たちだというのは確か。そんな「死」に囚われ、さらにはそこに救いすら見出しているウィリアムと、彼のことをどう思い、その思いを受け止めた上でどうしたいのか、ということが徹頭徹尾描かれていたように思えます。

 

モリアーティ陣営は、全ての感情がウィリアムに集約されていました。

全ての罪は自分が背負うべきだと誰よりも自罰的なアルバート。愛しているからこそ死なせたくないルイスとフレッドに対して、モランは愛しているからこそたとえ死に向かっていようともその思いを全うさせてあげたいと思っている。モリアーティ陣営のソロ曲はそんな思いを切々と歌うものでした。でもねぇ、全部一方通行なの。感情が全く交差しない。

 

それに対して、シャーロックはやっぱり強い。シャーロック陣営もウィリアム同様、全ての感情がシャーロックに集約されてはいるんだけれども、モリアーティのそれと大きく違うのは、ジョンという、対等な立場で心を通わせる人がいるってとこなんだよね。「友情」を信じて疑わないからこそ、ウィリアムに纏わりつく「死」すら意に介すことなく手を伸ばすことができたんだろうな、と。

 

そして、そんな両陣営の思いをつなぐようなポジションにいたのがボンドくんだったように思います。

ボンドとしては、死を救いにしようとしている「ウィルくん」の思いを大切にしたいんだけど、アイリーンとしては「ウィリアム様」を助けたい。ソロではアイリーンの顔が強く出ていたように感じます。両陣営と深く関わっていたからこその思いだろうし、「絆(ボンド)」の名を体現しているような歌でした。

 

 

 

原作を読んでいるから、この物語の向かう先は知っているのだけれども、それでも彼らがこの世界をどう生きて、どう感じて、どう進もうとしているのかというのを生身の人間を通じて見せられるというのは、とてもつらく、胸が潰れそうになりました。

 

モリミュの何が好きかって言われたら、オタク特有の早口でいろいろ捲し立ててしまいそうですが、やっぱり一番大きいのは『憂国のモリアーティ』の深い部分までを理解したうえで、舞台というフォーマットに再構築している部分なんですよね。憂国のモリアーティという作品を、舞台で、ミュージカルで表現する意味がちゃんとそこにあるから。

 

Op.5でいちばん楽しみにしてたーーというとちょっと語弊があるかもしれないけど、やっぱり原作も大好きな身としては、「最後の事件」のタワーブリッジのシーンがどのように“再現”されるのか、なんなら前作のときからずっとワクワクしていたんですよね。原作では橋からまっさかさまに落ちていき、そこでようやくウィルをキャッチするわけですが……

橋から落ちたのはウィリアム、そして数多の「死」たちでした。「死」は橋の下にとどまり、ウィリアムだけがシャーロックの元へ行き、ゆっくりとその背に手を回す。やっと、やっと、やっと。捕まえられることを選んだ。そこに答えはあった。死の誘惑を振り切って。想像していた以上に美しく、力強いシーンでした。元々あった物語に、演劇の想像力を付加して新たな表現として差し出される。それこそが舞台化の醍醐味であり、だから2.5次元の舞台が大好きなんだな、と強く思いました。

 

 

そして、この作品のもう一方の主役といえば、アンサンブルの方々が演じる市民たちです。今回、誰がどの役を演じたかまで細かく発表されていて「愛だぜ……」って感動したんですけど、いやほんと、彼らに何度心揺さぶられたことか。もちろん、ポジな意味だけではなく、ネガな方向にも持っていかれました。そりゃそうだ、ウィリアムの計算通りとはいえ、今回は憎しみがウィリアム(というか、ジェームズ・モリアーティという存在)に向けられているのだから。そして、終盤では“モリアーティ”の死を喜び、それに伴って命を落としたシャーロックの死も「必要な犠牲」だったという風潮で弔うことなく、ひたすら歓喜に満ちた歌を歌い、笑顔に溢れていたんですよね。別に彼らが愚かだったわけではないと思うんです。ただ、その素朴な感情がひたすら残酷だったし、だからこそメインキャラたちとのコントラストが際立ってとても良かったです。

 

 

それにしても、本当に「最後の事件」まで描き切ってしまったんだね。製作陣やキャストたちはしきりに「ファンのみんなが育ててくれた」っていってたけど、原作と、ミュージカルと、観客との関係性がここまで綺麗にハマった作品ってなかなかないんじゃないかなと思っています。

 

アタシはというと、推しが出るから知っただけで正直原作すら知らなかった。原作を読んで、面白さにのめり込んだ。Op.1で2.5次元の可能性に打ち震え、終演後リピーターチケットの列に並んだ(そして同じようにやられた人が多くて、リピチケはかなりの列になっていた)。Op.2でコロナ禍になり一つ飛ばしの座席の中で、この舞台が続くことをひたすら祈っていた。そして、原作を追いながら続編を待ち、原作とミュがクロスしていく中、あの続きをミュで見たい!と強く思うようになっていた。間違いなく2.5次元舞台っていうジャンルの中の最高峰だと思っている。

 

個人的にはルイスのラストシーンがめちゃくちゃに嬉しかったです。推しだからってのはもちろんあるのですが、原作で胸熱になった覚悟のシーンがこんな形で消化されるとは! ありがとうございます……。

 

うっすらと希望を感じさせるラストシーンと、グッズのシークレット(Op.5その後の姿でした)から、まだまだ続きを描けそうな気もするけれども、この美しいままで一旦幕引きっていうのもいいよな、なんて両方の気持ちを持っています。あぁ、でもやっぱり見たいよー!スピンオフでもいいし、なんならあの楽曲を活かしたコンサートでもいい! ジャンフェスに出るということで淡い希望を抱いていてもいいですかね?

 

とりあえずは、「最後の事件」まで、完走お疲れ様でした! 本当にこの作品に出会えて良かったよ~!!!!!

最高の歌舞伎デビューになりました  ー新作歌舞伎 刀剣乱舞『月刀剣縁桐』ー

アホみたいに忙し過ぎてブログにまとめることすらできず、日々が過ぎていっていました。前回のエントリが5月なんで6月〜7月がすっぽり抜けてますね。その間も観劇はしてました。以下、箇条書きでつらつらと。

 

・舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」 今年イチ笑った!フィジカルな笑いの楽しさたるや

・「MANKAI STAGE A3! ACT2! 〜SPRING2023〜」凱旋公演

 ナイランありがとう&カルテットべしょべしょに泣きました

・ミュージカル『刀剣乱舞』花影ゆれる砥水 凱旋公演

 やっぱり花影くん、好きだよ……kiss kiss kiss

・「RUN FOR YOUR WIFE」

 ホンの面白さとセクマイを笑う構造にモヤリとしつつも、役者のお芝居は最高!

・「剣聖」

 逃げ場のない二人芝居。ハイカロリーのエネルギーを浴びてクラクラ。

・悪童会議旗揚げ公演「愛しの儚」

  「これがかっこいいんだぜ!」を照れずに真っ向からやってくれました。

 

え、忙しいんじゃなかったの?ってな感じだけど、休みに全部ぶちこんでるんです。気が触れているので。

そんな中でも自分にとってスペシャルな体験だったのが、「とうかぶ」こと、新作歌舞伎 刀剣乱舞『月刀剣縁桐』の観劇でした。(やっと本題だよ!)いや本当に本当にほんと〜〜〜〜〜によかったんです。

初めての歌舞伎ってことで、内容がわかるかな……と不安はあったのですが、その前にあったFFX歌舞伎をみた先人たちが「面白かった〜!」と絶賛していたので、これは良い機会だと思って一等席をえいや!と取って向かいました。あ、ここからは例の如く息を吐くようにネタバレをするのでご注意を。

 

開演前、刀剣乱舞とはなんぞやと書いた幕がドーンと降りてきて、これはわかりやすいな〜なんて思っていたら、前説が始まる。あたしみたいな初心者でも楽しめるように、歌舞伎の見方のポイントに軽く触れつつ、こちらのワクワクした気持ちを高めてくれる。ホスピタリティがすごいな。

2列目だったんですよ。ち、近い……

 

Youtubeでも見た押彦さんだ!



期待値がMAXになったところでいよいよ始まる本編。しかも、小鍛冶を思わせるシーンから。ちゃんと「刀」からスタートするのがめちゃくちゃ粋じゃないですか? 刀剣乱舞と歌舞伎の親和性が高過ぎて、この時点ですでにガッツポーズでした。なんなら名乗りがかっこよすぎて泣いちゃったよ……(通常運転です)

 

さて、今作でキーになるのは三日月宗近と、その持ち主のひとりだったと言われている足利義輝。義輝が「永禄の変」で討たれるという歴史が改変されようとしているので、それを阻止するために三日月らが派遣されることになるのですが……。そう、勘がいい人はもうお気づきですよね。歴史を守るためには元の主を斬らなければいけない可能性もあるんです。そしてそこには必ずといっていいほど葛藤があり、ドラマが生まれる。ちょっと乱暴な言い方になっちゃうんですが、刀剣乱舞の物語としてはわりと王道でど真ん中の物語なんですよね。でも、いや、だからこそほんっとに良かった。

 

そして、ストーリーがいいからこそ、歌舞伎のあらゆる演出も効いてくる。とはいっても歌舞伎の知識がピヨピヨすぎて、「うわー!”見得”ってやつだ」「は〜〜これが例の陰腹!」「早変えすご!」「え、姫めちゃくちゃ姫じゃん、かわいい……」「出た、KU!MA!DO!RI!」みたいなアホみたいな感想になっちゃうんですけど。

これをきっかけに古典にも行きたいと思っているんで、きっとあとから「とうかぶゼミで見たやつだ!」ってなるんだろうな。そう思うと、とても素敵なギフトだよね。

和楽器の生演奏、とりわけ琵琶の弾き語りはゾクゾクしました。イヤホンガイドでもあったけど、たとえば平家物語なんかはこうやって人から人へと伝わっていったわけなんだもんね。いいな、かっこいいよホントに。

 

歌舞伎本丸の刀剣男士もとても魅力的でした。

まずは三日月宗近。個人的には、メディアミックス本丸の中でもことさらに人間味が強い個体だと感じました。なんかねぇ、ずっとちょっと悲しそうな顔をしているんですよ。義輝をとりまくこの状況全てに胸を痛めているような表情。歌舞伎特有のお芝居とかお化粧のせいだけではないと思うんだ。わりとさらっと「未来世からきた」って言ってたから驚いている人もいたけど、たとえば刀ミュの三日月も(人こそ選んではいるものの)その時代の人に未来を伝えて「友」と呼んじゃう自由プレイをしてたりするので、手段としてはそこまでびっくりするものでもなかったかな。孤独な義輝に、付かず離れずの距離を保ちながらもずっとよりそっていたのが印象的だったよ。そうそう、紅梅姫が三日月に思いを打ち明けるシーンがあったんですけど、これまでのメディアミックスでは暗黙の了解みたいな感じで恋愛が描かれることがなかったので、とても新鮮で楽しかったです。

 

そして小狐丸。兼役の都合上あまり出番はなかったんだけど、野生味があってつよっつよ個体でしたね。もっと、もっとみたかった〜! けど、義輝様最高だったし、きっと松也さん右近さんの2人だったからのラストのお芝居になったと思うので、ここはしょうがないかなと。

 

小烏丸は美し過ぎました。刀剣の父……いや、母……? 色気があって艶やかで、強い。意外と血の気が多いのも良かったです。あの麗しい声はどこから出てるんだろうな。目と耳がとにかく嬉しかったです。舞も素敵でしたね。こんなん美の付喪神じゃん……

 

髭切も兼役ということであまり出番はなかったのですが、かわいすぎてお人形さんかと思いました。一幕の終わりにでてきたとき、羽織の房をふりまわしたり、なにかをちょんって蹴る仕草をしていてほんとに愛らしかったです。兄者も紅梅姫も信じられないくらいかわいかったので歌舞伎好きのライターさんにそのことを伝えたら、「まるる」っていう愛称で呼ばれてることを教えてもらいました。ま、まる、る……?  愛称までかわいらしすぎでは?

 

そしてそして膝丸! 今回の出陣メンバーでは推し刀の膝丸!  演じる吉太朗さんは唯一の21世紀生まれらしく(イヤホンガイドありがとうございます)そのフレッシュさに椅子からずり落ちそうになったのですが、SNSを駆使して宣伝していて、歌舞伎への心理的な距離感をとっぱらおうとしてくれていたのはシンプルにすごいな、と。髭切の出番が少なかった分、膝丸が出ずっぱりだったのですが、血の気が多くて、なのに兄者に名前を忘れられた時はびっくりするくらいしおしおで「はにじゃ〜〜〜〜」って泣いていて、そのギャップがたまりませんでした。そうそう、アタシは刀ミュの先行で取ったので、2列目とはいえ上手サイドよりで花道は遠かったんですね。でも、膝丸がめっちゃ近くの通路を通る演出があったのでかなり救われました。福利厚生が手厚いのよ。やっぱり膝丸はどの本丸でもかっこいいなぁ!

 

同田貫の夢女の皆さん、生きていますか? こちらは危うく夢女にされかけました!!!!!! 松也さんが何かのインタビューでサプライズ枠だといってたのですが、ほんとにバランスがいいというか、たぬが入ったことによってビシッと締まりましたよね。そしてとにかくかっこいい。義輝様の前で披露した舞も一振りだけ異質でゾクゾクしたな。最高! そういえば舞のときだったかな「益荒男振り〜」ってうたわれていて「あぁ、そうか、益荒男振りってそもそも刀からきた言葉だったよな〜」とにっこり。あと、お声がとても好みでした。危険だ、夢女にされる!逃げろ!!!!!!(手遅れ)。兼役の久直もよかったです!

 

他の方達にも触れたいんだけどキリがない!ので一旦ここで締め。歌舞伎というフォーマットのなかで、刀剣乱舞の魅力を余すことなく伝えていて、それと同時に歌舞伎ってこんなに面白いんだということも全部盛りでやってくれました。そういえば果心居士というか、異界の翁/嫗のお着物が蜘蛛の糸の柄だったのは、やっぱり土蜘にかけてるんですかね? もしかしたらもう一方の柄にも意味があるのかも。有識者〜〜〜。

 

そしてなんといってもやっぱり、闇堕ちした義輝様の無双〜三日月との一騎討ちはこの作品のハイライトでしょうね。

「永禄の変」は数多の創作で描かれ、義輝は畳に刺した名刀を次々に抜いて応戦したなんていう逸話も残っているんですけど(創作らしいんですけどね)このエピソードを彷彿させるように、階段に刺されている刀を抜いては戦い、抜いては戦いをしていました。つ、強い……。アクション班の斬られっぷりも最高でしたね。そして自身を操っていた異界の翁と嫗を斬り、ようやく憑き物が落ちるーー。

そこからの三日月との一騎討ちは涙無くしては見られませんでした。悪鬼のまま討つのではなく、正気を取り戻した義輝様とっていうのがまたよかった。刃を交えながらやっと、やっと語らえた2人。そして、ずっと近くにいたことに気づく義輝様……。とても悲しくて美しいシーンだったな。そして画作りがうますぎるのよ……。このシーンの劇伴(歌舞伎だとなんて呼ぶんだろ)がいまもずっと耳に残っています。

 

歌舞伎では珍しいっていうカーテンコールがあって、さらには撮影もできるっていう大サービス付き。エンタメとしての懐の広さを存分に味わいました。

 

膝丸かっこよかった〜〜!お手振りありがとうございます

 

お二人の関係性を知り、この写真の尊さが増しました。お手手は膝丸です。

 

ズームの必要なかった!小狐丸が大活躍する演目も所望じゃ〜〜〜〜

 

ほしがり宗近

 

翌日が休演日ということで、なぜかお団子が登場。かわいいかよ〜

 

お団子持ってるだけなのにイケメンなのなんで?????

 

お団子×源氏兄弟=はちゃめちゃにかわいい

 

こんな素敵なメディアミックスがみられたのも、刀ミュと刀ステがここまで物語を紡いできたからっていうのは大きいと思う。いきなり歌舞伎化ってのは多分ありえなかったんじゃないかな? 両本丸を応援し続けてきてよかった。ちょっとくらい胸を張らせてくれ。

そして、歌舞伎という文化を絶やさぬように守り続けてきた人たちが、同じくここまで大切に受け継がれてきた刀剣のお話を上演するっていうことに対しても胸が熱くなったよ。100年も1000年も「残したい」と思う人たちがいて、「伝えたい」と伝えてくれる人たちがいる。その想いがあったから、今でもずっと残っているし続いているんだよね。それが簡単なことではないというのは、素人目にみても明らかで、だからこそとても尊い

そうそう、ラストの口上で「名を残せし名刀も、名もなき刀工も〜」っていうのがあって、この本丸でも「名もなきもの」に心を寄せてくれるんだなと思ってここでもまたぼろぼろ泣いちゃいました。そもそも異界の翁/嫗の正体が切ないじゃんかよって話だよね。

 

刀剣乱舞歌舞伎、ホントにホントにありがとうございました。願わくば続編も待っています。まだまだ可能性がたくさんある!!!!!!!!

『花影ゆれる砥水』初見の感想

ついに、ついにミュージカル『刀剣乱舞』の新作の幕が上がりましたね。まずは東京公演完走おめでとうございます。

今回から脚本が伊藤栄之進さんから浅井さやかさんにバトンタッチ。浅井さんの書く刀ミュの歌詞は大好きだし、「江 おんすていじ」も好感触だったのですが、のしんさんのホンがあるからこその刀ミュだと思っていたので、自分の気持ちがどっちに転ぶか正直不安でもありました。まずは自分の目で確かめなければ始まらない、と思って3バル見切れ席(ほとんど見切れなかった! TDCホール愛してる!)のチケットを握りしめて現地に向かったのですが、見終わった後の脳直ツイートがこれ。

 

 

「脚本家が変わった」というのは強く感じたものの、ミュージカル『刀剣乱舞』としての手触りは変わっていなかったんですよね。むしろ、これまでにない「刀剣乱舞」への視点がプラスされて、「そうか、そうだったのか!」と、目から鱗と涙がボロボロ落ちてしまっていました。この寄り添い方が愛おしいんだよ……

 

以下、過去作品も含めて息を吐くようにネタバレを書いていくので、それでもいい方だけ読み進めてください。

 

 

今作のタイトルと配役が発表されたとき、なんとなく「刀そのもの」にグッと寄ったお話になりそうだなーなんて思っていました。

 

 

 

もちろんアタシ以外にもそう感じている人が多くて、歴史上の人物の名前だけでその刀周辺の話をさらっと予想できるようになるくらい、ジャンルとして育ってるの、シンプルにすごいよね。

 

劇場に入った途端、デーンと鎮座する刀身の姿が目に入る。幕に装飾されているのかな? 両サイドの幕にも刀が入っていて、あぁ、やっぱりテーマはそうなのだな、っていう確信に変わる。

(ちなみにあの刀は銘が打たれてなかったですよね。目釘穴はあったかな、記憶にない……刃文も直刃で特に特徴的なものではなかったように記憶してるのですが、大きな括りとしての「刀」でいいんですかね? 有識者~~~~)

 

追記:こちら、もしかしたら……なのが浮かんでしまったのですが、現地でもっかい確認してからにします。あんま適当なこと言いたくないので。

さらに追記:凱旋見たら全然違いました! へたなこと言わないで良かったーw  目釘穴は1つ。当然銘は打たれてなかったね。

 

物語は、御所が襲われ又三郎(後の本阿弥光徳)が刀を守ろうとするシーンから始まります。「義輝が討たれた」と言っているので、あれはおそらく「永禄の変」だろうね。光徳はこのとき刀の声を聞き、刀にのめり込んでいくーー。

てな感じで幕を開けるのですが、本編で描かれた歴史的な大きな出来事は実はこれくらい。そしてそれがこの作品を「新しいもの」にした最大の要因なのかなって思います。

 

『花影ゆれる砥水』は、「刀剣男士が守るべき歴史」のお話ではなく、「刀剣男士そのもの」のお話だったんです。

 

今回の敵の狙いは豊臣秀吉……ではあるんだけれども、時間遡行軍のやり口もどんどんトリッキーになってきていて、歴史上の人物を狙うだけでなく、刀剣男士に関わる歴史を修正して戦力を削るっていう戦法も取るようになってきました。聚楽第に火を放って後の世に名刀が残らないようにしようとしたりしてね。チッ、両方向から攻めてきやがるぜ……

そんな中、もう一振りの「一期一振」が秀吉の元に届きます。そして、その刀から顕現したのが「カゲ」でした。

 

「刀剣男士」とは、審神者の手によって顕現された付喪神で、その拠り所となっているのはさまざまです。現存している刀そのものだったり、刀自体はないけれども強い物語があったり、特定の刀ではなくその集合体だったりといろんなパターンがありますが、彼らには「歴史を守る」という明確な使命があります。

では、彼らの「敵」=「時間遡行軍」は何者なのかというと、明言こそされていないけれども「名もなき刀の成れの果て」ではないかということがこれまでの刀ミュの中で示唆されてきました。さらには、名のある刀から顕現した刀剣男士未満の存在=『葵咲本紀』で稲葉江から顕現したセンパイなんかもいますね。

 

さて、「カゲ」。審神者ではなく、持ち主の想い(この場合は吉光の刀に固執する秀吉の想いって考えるのが妥当な線かな)を受けての顕現だから、センパイに近い存在だとは思うのですが、ただ、この個体を生んだ刀は、歴史的には「存在しない(とされている)刀」。生涯に一振りしか作らなかったという吉光の太刀から生まれたのならば、じゃあ「大阪の陣で焼け、元の状態から磨り上げられている一期一振」から顕現した、刀剣男士・一期一振はどうなってしまうのかって言う話になってしまうわけです。どちらかが“じゃないほう”になってしまうのですが、それが「本阿弥光徳の極め」ひとつにかかっているっていう……

 

こっっっわ!!!!!

 

そして光徳は、吉光の真打を磨り上げたくない一心で、「影打ち」を本物だとし、いち兄とカゲが入れ替わってしまう。

 

こっっっっっっっわ!!!!!!!!!!

 

でもそれは、彼らが守らなければいけない「歴史」そのものにはさして影響がなく、なんならカゲの活躍で任務はつつがなく遂行されつつあり、ただいち兄の存在だけをだんだん感じ取れなくなっているっていう……

 

こっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっわ!!!!!!!!!!!!!!

 

でも、大きな歴史の流れからしてみれば、正直、刀の存在も「瑣末なもの」でしかないんだよね。刀剣男士を愛してしまっている身としては、は?瑣末だと~?って叫びたくなるわけですが、その刀がなかろうとおそらく歴史にはそこまで影響がないだろうし、刀の来歴があやふやになってしまいその刀剣男士が生まれなくなったとしても、大きな歴史の流れはなに一つ変わらないんだ。たとえどんな名刀であっても。

 

個人的にすごく印象的だったのは、長義と小竜のやりとり。

 

かつて放棄された世界を見ている長義は(江水で「あの世界」を知っているものとして名前があげられているよ)、江水で世界が放棄されゆく様を見た小竜に問いかけるんです。「あの世界をどう見た?」と。小竜の答えは「俺もそのひとひらだ」と。

さらに別のシーンでは「歴史を作るのは人間だ」という長義に対し、小竜は「歴史をつくるのは力のある人間だよ」とも付け加えます。

 

刀も、市井のアタシたちも、歴史を作っているわけではない。でも、確かにそこに存在していて、そこにはちゃんと想いがあるんだ。だからこそ、小竜はきっと「俺もそのひとひら」だと答えたんだろうし、この視点こそが、ミュージカル『刀剣乱舞』をミュージカル『刀剣乱舞』たらしめているものなんだと思っています。数多の命に、その想いが注がれているんだ。だからこそ、自分たちの任務に支障がなかろうと、大切な仲間である一期一振を連れて帰ろうとするんだよね。

では、存在するはずではなかった「カゲ」は捨て置いていいのか?という話なんだけど、ここで思い出してほしいのが、『葵咲本紀』での御手杵と貞愛のやり取りだ。

「忘れられることは怖くないのか?」「だったらオレが覚えていらあ!」

誰かが覚えていると言うことは、たとえ形がなくなっても存在しているってこと。

だから、存在するはずじゃなかった「カゲ」は「忘れてくれ」って言うんです。でもね、いち兄が言うんですよ「兄弟のことを忘れるわけがない」って。伽藍堂だったいち兄の中には「カゲ」が入った。カゲは影だから空虚さを埋めることはできないけれども、それでも伽藍堂の中に何かがある状態になった。それってすごく大きいと思うんだ。あぁ、書きながら思い出し泣きしそう。

そして、かつて笑顔が硬いと秀吉に罵られたカゲだけど、いち兄の胸の中で、笑顔で果てていくんだよね。うまく笑えんじゃん、カゲ~~~~~~(号泣)。

 

笑うは咲う。そして花が咲き、散る。

 

ラストに歌われた「詠み人知らずの歌(仮)」は、冒頭の曲と歌詞が対になっていました。

 

「その花は名前を呼ばれ その歌は詠み人絶えず」

歴史に名を残し、多くの人に語られる物語がある一方で、

 

「かの花は呼ぶ名を持たず かの歌は詠み人知らず」

誰にも知られることがない数多の人たちがいる。その歌は残っていないかもしれないけれども、でも「想い」はそこにあったんだよね。これまでの物語と地続きだなって強く感じたのは、こういった想いがきちんと描かれていたからなのかもしれないなぁってふわっと思いました。

 

歴史の大きなうねりに比べたら、ダイナミックさには欠けるかもしれない。だけれども、優しくて温かい想いがそこには流れていたよ。だから、だから刀ミュくんが好きなんだなあ……

 

さて、今日から地方公演が始まります。まずは皆様が無事で駆け抜けられますように! 立川ステージガーデンが死ぬほど嫌いなので(突然のヘイト)チケット取ってなかったですが、この物語にもう一度会いたいので当日引き換えか何かでなんとかしようと思います。あと、長義……長義……オレたちの死……

『映画刀剣乱舞-黎明-』観てきました

やっと公開された『映画刀剣乱舞-黎明-』。アタシは初日の舞台挨拶中継付きの回と、翌日の4dx上映に行ってきました。いま、ホカホカの気持ちのまま思いを書いていきます。バレもネガもあるので、楽しい気分だけでいい人はこのブログをそっ閉じしてください……

 

 

前作、個人的には最高だったんです。歴史ミステリーとでもいうべき脚本と、刀剣男士と歴史上の人物、審神者との距離感、全てのバランスが絶妙でした。前作のエントリも貼っときますね。今読み返すと、内容も何もない、興奮だけのやつだけどw

 

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ってなことがあったので、期待値がめちゃくちゃ高かったんです。この監督と座組だったらきっといいものにしてくれるはずだって。しかも、平安時代だけじゃなく、現代も舞台になるって言うじゃないですか。現代への出陣は、公式メディアミックスではこれまでなかったんですよ(刀ミュの『東京心覚』も「現代」と言うにはちょっとふわっとしすぎてるので)。しかも仮の主っていう新しい概念も登場するとのことで、ワクワクするなって言う方が無理でしょ。

 

さて、蓋を開けてみると……びっくりするほど脚本が雑!!!!!!!!!!!

 

いや、面白くないか面白いかで言ったら最後にひっくり返って手を叩くくらい面白かったんだけど、正直なかなかにストレスな時間も続くから、両手をあげてサイコー!っては言い難かったんだよね。

 

以下、ちょっと気になっちゃったポイント

 

平安京の「鬼退治」は実際の鬼ではなく、まつろわぬ民の虐殺だった。そこで斬られた酒呑童子が呪いに転じ「鬼」になったいささか説明不足ではあるけど、それは読み取れる範囲なのでわかる。

 

・その現場を目撃した山姥切国広が巻き込まれて呪いを受け、心を奪われてしまったまぁなくはないだろう。刀に血がべっとり着いておりましたし。

 

2012年は人が審神者になるかどうかの分岐点刀剣乱舞サービス開始前で、国宝展で三日月宗近が展示されたっていうメタな理由だろうけど、まぁそういう設定なら受け入れよう。

 

2012年に山姥切国広がやってきて、伊吹を仮の主とした

 →いや、なんで????????????

 

ここの説明ががっぽり抜けてるんだよね。伊吹と山姥切国広の出会いがさっぱりわからない。2012年に飛ばされて出会ったのかなんなのか。ミリでもいいからそこをやってくれないと、「なんでそうなった?」しかない。悪い意味で、特撮作品の「細かいことは気にすんな!」がでてるんだよな(特撮はめちゃ好きですよ!)。「伊吹童子」と同じ「伊吹」だし、親に疎まれたっていう伊吹童子の伝承なんかもインスピレーションにはなってるとは思うんだけどさぁ……

 

せっかく平安のビッグネームや、とうらぶ的にもめちゃくちゃ関係が深い頼光や綱を出しておきながら、映画に箔をつけるための予告用要員でしかなかったのが残念すぎた。「鬼ではなく人を斬ったにもかかわらず、歴史ではただ『鬼を斬った』としか伝えられていない」っていう設定、なんぼでも美味しく料理できるはずでしょう……? 「一生懸命生きているだけなのに悲惨な目にあった」という一点だけで伊吹と呼応するのが、ご都合主義と呼ぶにしても雑すぎる。

 

幸運なことにアタシたちは、この数年間でたくさんの良質な脚本の刀剣乱舞メディアミックスを観ることができた。刀剣男士そのものを描かなくても、刀剣男士の物語を描くことはいくらでもできるし、人間キャストがいるからこそ刀剣男士という存在が立体的になるっていうのを刀ミュと刀ステでずっと見てきたんだよね。だから余計に思ってしまうんだよな。「人間ドラマ」は「人間でドラマを作る」ってことではないんだよ。

あと「解説や考察読んだら2回目はわかりやすかった!」みたいな感想も結構見受けたんですけど、いやいやいやいや、息を吐くように複数回行くのはオタクだけだし、「2回見ないと分からない」は「2回目では見え方が変わる」っていうのと、行くと来るくらいの違いがあるぞ!?

 

伊吹にめちゃくちゃ重い設定を背負わせてるくせに、描き方がうっすいせいで感情移入ができなかった。そして薄いまま冗長に描かれる説教パートと回想。彼に語りかける琴音ちゃんがめちゃくちゃ言葉を選んでいるのはわかっているけど、恵まれた子からの言葉で心を動かされるとか、その程度の呪いなのか? 全てにおいてバランスが悪すぎる。人の理は人の理で解決しようとしたのはわかるけど、あんなに悲惨な思いをした伊吹が結論として「あの時弟を止めなかった俺が悪かった」って自罰的になるのあまりにもすぎたよ……。キミは世界を呪っていいよ!何でそんなセリフを言わせたんだ。どんな残虐なシーンよりも、それがいちばん残酷だったな。虐待は親が100で悪いだろうが〜〜〜〜〜!

 

歴史に名を残さない人たちにも思いがあるのと、歴史の中では悲しい役目を背負わされる人がいるっていうのを雑に掛け合わせてしまった、キメラみたいな脚本だったなって感じています。これはもう、演出では取り返せないよ……

 

 

さて、こんなにグデグデいってますが、2回見たってことはそうじゃなかった点もたくさんあったってことです。

 

やっぱりね、この作品、これに尽きると思うんですよ。

 

渋谷での最終決戦に、いろんな本丸の刀剣男士が来て共闘したよー!!!!!!!!!!

 

まさかのレイド戦じゃないですか! なんとなく他の刀たちも出るのかなーって思ってはいたけど、く、く、倶利伽羅江??????映画本丸にしかいない倶利伽羅江がいるの?????そして緑の……え??????刀ミュ本丸の石切丸さん??????????は?????????????

それまでのモヤモヤした気持ちがここで全部吹っ飛びました。ラストで全てチャラにするとか最強に卑怯な手段だと思いつつも、こんなの大好きで抗えるわけがないんですよ。スクランブル交差点でのド派手な大立ち回り。最っ高にかっこいいカメラワークと、映像ならではのアクション。これこれこれ、これが見たかったのよー!

 

そして、推しの山姥切長義がめちゃくちゃかっこよかったった!!!!!!!!(バカの感想)

原作のせいではあるんですけど、長義とまんばちゃんの描かれ方って毎回頭が痛くなるものが多くって、それがどうしても苦手だったんですよね。どっちかサゲになるのも嫌だし。(刀ステの慈伝と、花丸雪が受け入れ難いタイプの女です)だから今回は「違う本丸」かつ「政府の刀」だっていう前提もあって「偽物くん」っていってもそこまでじゃないし、三日月による「うちの本丸の山姥切国広」っていうフォロー含めて完璧だった。仮の主との関係性はもっと見たかったなー。各務さん、たとえ長義が消えても狼狽えることなく職務をまっとうしてたし、渋谷に長義が戻ってきた瞬間の表情で全部語ってたじゃん。信頼しかない……

 

始まる前から話題になってた、長谷部とギャル審神者もよかったね。執務室でのギャルの振る舞いはギャルってかキャバ嬢で「男の人が描くとこうなっちゃうよな〜」って残念にはなったけど、そのコミュ力含めて愛おしかったし、名乗りで全部がさいっこ〜〜〜〜〜ってなりました。あぁぁぁぁ黒田さんちの「何か」だ!!!!!!子孫かどうかまでは明言されてなかったけど、「何かしらの縁」があったから長谷部の仮の審神者になったんだろうし。名前を呼ぶことに大きな意味を持たせていた本作で、最後に「へし切り長谷部」って呼びかけるのもいいですよね。「へっしー」もかわいくていいですが。渋谷の決戦で「主に仇なすものは〜〜」って斬りかかってたけど、ここで指している主は実弦ちゃんのことでしょ?ねぇ、へっしー?

 

源氏と神主の関係はもっともっと見たかったよ〜〜〜〜〜。子々孫々まで語り継ぐっていってたから、もしかしたら1作目の審神者に繋がる人なのかなってなったし、絶対愉快なやり取りあったじゃん?極がきたのも仮の審神者審神者パワーみたいなのが強かったからとか、なんかきっと意味があるわけじゃん?もっと見せろオラ〜〜〜〜〜〜〜!

 

実は、三日月と琴音ちゃんの関係にはあまりグッとこなかったです。ここはもう趣味というかあれな話で申し訳ないんですけど、我々が感情移入しやすいような存在として出したっていうのはわかるけど、それが女子高生っていうのがどうもこうも、おっさんの理想みたいなのが透けて見えて気持ち悪くてですね……これはもう、ほんと出来の良し悪しとかじゃなくて単なる趣味の話で、アタシの言い掛かりみたいなやつです。三日月さんのウインクで万事解決されたい人生だった……

 

あ、4dxはめちゃくちゃ楽しかったです。例の高速バスの揺れはもちろんそうなんですが、刀剣男士が登場したときに桜がぶわ〜〜〜〜〜って舞うあの感じを体感できるのが良かった!そういうの好き!

 

ってなことで、映画刀剣乱舞に関しては「心がふたつある〜〜〜〜」ではあるんですけど、だからこそ続編が見たいと思ってます。その際はどうかちゃんとした脚本とウイッグ(どさくさ紛れにdisるな)をお願いいたします!三日月宗近が「顔」なのはわかるけど、そろそろ他の刀たちの映像作品も見たいです。金なら出す!(チケット代)

キセキの行方 ーあんさんぶるスターズ! THE STAGE -Witeness of Miracle-ー

去年の夏あたりからありがたいことにアホみたいに忙しくなってしまい、観劇はしているけれどもアウトプットができない状態が続いていました。このままスルーしてもいいかななんても思いましたが、やっぱりなんだか勿体無いので書いていこうと思います。

 

10月に観たのは、『あんさんぶるスターズ!THE STAGE -Witeness of Miracle-』。

2016年の初演のとき、ノリで当日券チャレンジをして当たってしまい、そこからズルズルとてんご沼にハマっていったいわば「始まりの作品」である「あんステ」。当時のグデグデすぎる運営とか、次々に燃えていくキャスト陣とか色々あったのですが、やっと、やっと「ズ!」の集大成であるキセキシリーズのラストに辿り着きました。まずは、本当に、本当にお疲れ様でした。

 

キセキシリーズは、サマーライブ、オータムライブ、SSの3つの章で構成されていて、前回のTrack to Mracleがサマライとオータムをまとめたもの、そして今回のWitness of MracleがSSに焦点を絞ったものになります。

 

Trickstarと、そのライバルであるEdenとのガチンコ勝負のがメインなのですが、キーになるのは、スバルとその父親とのお話なんですよね。

スバルが父親の話をする時のスポットライトの演出がとても素敵で切なかったです。スバルにとっては絶対的な光であり、でももう触れられないものなんだよね……。

 

たくさんの見所があったけれども、やっぱりね、これがいちばんデカかったんです。

 

北斗くんが!ソロを!!

歌ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 

いや、一慶くんがソロを歌うのは別に珍しいことじゃないんです。そこじゃなくてだな……

北斗くんがソロを歌うのはすべてのメディアミックスで初なんですよ!

スバルのソロは想定内だったんですけど(なんならスバルも初だね!)まさか北斗くんのソロが聴けるとは……うぉぉぉぉぉぉん。初日は声を殺しながらも号泣してしまって以降の記憶がぼんやりしてました……そのくらい、そのくらい衝撃的だったんですよ!夢ノ咲の2年の制服でソロを歌う北斗くんが観られるとか現実か??????

 

余談ですが、年始のFCイベントのときに「北斗くんのソロがあったの本当に嬉しかったんです」ってお伝えしたら「あ〜〜〜俺もあの曲大好き!いいよね〜〜」ってにっこりしてらっしゃいました。一慶くんはもう、名誉北斗くんだよ……(大丈夫、正気です)

推しキャラを演じる推しキャストのソロは人を狂わす……

 

はぁ、落ち着こう。

 

2.5次元作品の醍醐味のひとつに「行間をうめる」ってあると思うんです。マンガだったらコマとコマの間に描かれていない部分を。ゲームだったらシナリオの外にある情景を。アニメだったらキャラクターがそこにいるという息遣いを。

 

それを顕著に感じたのが、北斗くんがスバルの肩を抱き「俺とお前は魂の双子だ」と励ますシーンでした。ここって原作だと、エモいセリフではあるんだけれども、流れのひとつというか、そこまで際立っていたわけでもないんです。

 

それが2.5次元の魔法で、めちゃくちゃドラマティックなものとして再構成されたのが、原作ファンとして本当にうれしくて。

 

ほさかさんの、いい意味でねっとりしている演出が、この物語の持つ熱さや、奥底にあるドロっと感と相性が良かったんだろうね。TtMもWoMも、見たかった「あんさんぶるスターズ!」がそこにありました。

 

キャストもとても良かったな。長きにわたる物語を支え続けてきたトリスタの一体感と、そこに加わったEdenの新しい(そして強い)グルーヴと。彼らを支える夢ノ咲のメンバーも最高だったね。

 

公演が重なっていくにつれてどんどん遊びが増えていって、日替わりもかなり愉快なことになってたよね。そういった部分からも演者たちの関係性みたいなのが垣間見えてほっこりしたな。リアルな人間が演じる意味っていうのは、そういったところにあると思うので。後半、メンバーの怪我によるトラブルもあったけど、無事に乗り切れて本当に本当に本当に良かったよ〜〜〜。

 

そうそう、あんステのシリーズって、上記のとおりサブタイの頭文字が略称になっているんだけど(2作目のTYMから自然発生的にそうなったよね)今回のタイトル、Witness of Mracleは「WoM」。そっか、Wをひっくり返してMにする、みたいな意図もあったんじゃないかな、なんてふわっと思って感動してたんですけど、ジャニオタの友人に「Wildも地球の裏側だとMildになるもんね」と返されました。クッッッソwww

 

てな感じで、キセキシリーズの行方を最後まで見届けることができました! この後はライブ公演のParty Liveが控えていますが、さらにその後はどんな展開が待っているのか……。律儀にメインストのSAGA編をやるのもいいんですけどここはスパッとズ!!時間軸に進んでもらってもいいですよね。なぜならステのアルカとクレビが見たいから!!!!!(シンプルな欲望)

あぁでも返礼祭も見たい……

 

まずは、Party Liveのチケ、ご用意されたいですね!結局いっつもそればっか!w

一人/一振りだからこそできること ーにっかり青江単騎出陣ー

2年にわたって行われている、にっかり青江の単騎出陣。1年前に大津で観劇したのですが感想をそのまま寝かせてしまったので、先日観劇した東京公演とあわせて、ざっくりとしたお話の内容とか、感じたことをつらつらと書きたいと思います。

 

刀剣乱舞ONLINEにおいて、「旅」とはすなわち「修行」のこと。極(きわめ)になるために必要な過程です。もう公式でネタバレしているからご存じの方も多いと思いますが、今回の単騎出陣は、にっかり青江の修行の旅でした。

 

時間軸としては「三百年」のあと。インスタでお馴染みのご当地ネタで会場を温めてから、まずは「葵咲本紀」には描かれなかった物吉くんのお話が、歌合を彷彿とさせる講談スタイルで語られます。こうやって本編を補完してもらえるの、ほんとにうれしいよね。青江さんの一人語りではあるけれども、そこにはちゃんと物吉くんがいた。そして、旅に出たいと思ったきっかけなんかも語られる。

 

そうそう、旅に出る前、本丸の全振り(この段階で顕現しているのは心覚組までなのかな)に語りかけるんだけど、全部相手が“見える”んだよね。三百年ゾンビなので、最後に挨拶したのが三百年メンバーってことだけで号泣でしたよ……。「仲間が増えるのは、いいことばかりではない」と言う言葉が水心子への語りかけだというのは、「東京心覚」で明かされていましたね。

 

旅をして、現地の人(つまりは我々)と交流を重ね、三百年の出来事を振り返りながら、青江は徐々に自分自身と向き合っていきます。本丸の仲間たちへの愛おしさは執着にも似た思いとなり、彼らを失いたくないという強い願いは、自分自身への不甲斐なさへと繋がってしまう。刀のままでいられたら、彼らは傷つくことがなかったのではないか。彼らを刀のままでいさせることができなかったのは、自分に力がないからではないのか。青江は自問自答を繰り返し、自身の深い部分へと潜り込んでいくーー。

 

ここからは青江というか、荒木さんのお芝居に圧倒されました。青江と一心同体になりながらも、その一方で荒木さん自身をむき出しにして、命を削り、その瞬間をまるごと全部見せてくれるような“抜き身”の姿。お芝居だと分かっていても痛々しいし、目を覆いたくなる。中でも印象的だったのが、青江と、彼が斬ったという幽霊との一人二役。演じ分けとかそういうレベルの話じゃなくて、幽霊がちゃんと別人格として存在しつつも、青江の中にいるものとしての表現だった。一人芝居だから当然と言えば当然なのかもしれないけれど、一挙手一投足から目が離せなくなってしまう。

 

みっともないほどにボロボロになりながら、ようやく青江は自分の中の答えに辿り着き、そして修行を終え、極の姿に。

刀ミュの時系列で誰が先に極になったのかはわからないけれども、アタシたちの時間軸では一番最初に極となったにっかり青江。誰とも声が重なっていない「刀剣乱舞」は優しく澄んでいて、心に突き刺さりました。

 

ラストの曲は、歌合でも歌われた「あなめでたや」。アタシは、この歌が全ての答えだと思っています。だって、「刀剣男士が本丸に増えることは決していいことばかりではない。彼らは刀でいた方が幸せだったのではないか」ーーそんな思いを抱いていた青江が、刀剣男士として生を受けたことを寿ぐ歌を歌っているのだから。刀剣男士が増えることは、いいことばかりではないかもしれない。それでも、生まれてきたことを祝福できるようになったのは、自分自身を形作った物語を受け入れ、後悔も何もかもを背負って進んでいく覚悟ができたからなのかな、と。生きていれば苦しいこともあるけれども、“モノ”のままだとその痛みすら知ることもできず、他の刀剣男士や人々と触れ合うこともままならない。刀剣男士として顕現したからこそ物語を紡ぐこともできたんだ。

この旅を通して、自分が刀剣男士として存在することもやっと許せたのかな、なんて思っています。今の青江なら、きっと心の底から笑うことができるんだろうね。

 

にっかり青江単騎出陣は、己自身と向き合い、葛藤し、受け入れて前に進むという、構造としては至極シンプルな物語でした。だからこそ、刀剣男士としてのにっかり青江と、役者・荒木宏文の両方がむき出しになり、アタシたちは結果としてその心の端っこに触れることができた。これは、一人芝居だからこそできたことであり、一振りしかでてこないからこそのある種の到達点だと思っています。

そんな作品を2年に渡って旅をしながら演じ続ける荒木さんの役者としての胆力には改めて驚かされるし、その背中を見ることができる後輩の役者たちも幸せだよなぁと。

 

ここまで書いておいてなんだけど、何を語ってもほんとに蛇足になってしまうな。だって、青江が全てを語り、歌ってくれているのだから。もし最推しじゃないからと観ていない人がいたら、大千秋楽の配信をぜひ観てほしいです。ネタバレがあったとしても、それ以上の想いを感じ取ることができると思うので。

 

長かった旅も残りわずかとなりました。どうかご無事で最後の地まで辿り着けますように。

2振りの始まりの物語 ー鶴丸国永 大倶利伽羅 双騎出陣〜春風桃李巵〜ー

『静かの海のパライソ』大千秋楽で発表されてからずっと心待ちにしていた推しの刀の双騎出陣。タイトルの『春風桃李巵』は、伊達政宗が詠んだ漢詩の一節からきていたので、ストレートに政宗公のお話でくるんだろうな、というのは予想していました。そしてパライソ大千秋楽の特別演出で予告されていたように、大倶利伽羅が顕現して間もないころのお話だというところまではわかっていたのですが……こんなに、こんなに素敵なお話になるだなんて……! 観劇してからはずっと温かい思いに包まれていて、時々その思いをそっと取り出しては眺め、また大切に仕舞い込んでいるような日々です。

 

双騎出陣のタイトル通り、今回任務にあたるのは鶴丸と大倶利伽羅の2振り。時間軸としては「みほとせ」よりも前で、大倶利伽羅は顕現したてです。鶴丸は「先の任務の直後」といわれているので、この前に何らかの出陣があったんだろうね。これに関してはまた後ほど。

そして、今回の時間遡行軍の狙いは伊達政宗ということが明かされます。でも、どの時代、どのタイミングに現れるのかは不明のため、政宗公の足跡を辿りながら探っていくーーというのが、本作のざっくりした流れです。

 

パンフでも言及されていましたが、今作はいわばエピソードゼロとでもいうべき物語で、鶴丸と大倶利伽羅2振りの始まりのお話。筆まめだったという政宗公が書いた手紙や詠んだ歌を軸に、大倶利伽羅の成長と、鶴丸の再生が描かれていました。再生ってなんだよって感じだと思いますが、ここも後ほど触れていきます。

 

倶利伽羅って伊達家に伝わる以前の来歴がよくわかってないってこともあって、刀剣男士としての物語は「伊達家の刀だった」という話に全振りしてるんだよね。政宗公は言ってみれば大倶利伽羅アイデンティティそのもの。戦の度に帯刀されていたという伝承もあるけれども、大倶利伽羅が実際に伊達家に来たのは戦が終わってから。つまりは戦の刀としては「間に合わなかった」んです。

そう、この戦に「間に合わなかった」倶利伽羅くんっていうのは、同じく天下に「間に合わなかった」政宗公とリンクしているんだよね。戦以外に興味がないっていうのも、自分が出会えなかった「戦をしている政宗公」への強い憧れだったのかななんて想像しています。だからこそ倶利伽羅くんは焦っていた。

 

そして鶴丸はというと、どうやら“先の出陣”でなにかしら大きな出来事があったようでした。江水の時に明らかになった、この本丸の「折れた刀」絡みのことなのかな、なんて想像しています。冒頭で鶴丸が掘っていた穴はおそらくそのメタファー。倶利伽羅くんに対して「時間は埋められない」と言いながら、自分も「埋められないなにか」を持っていて、彼もまた焦りに似た感情を抱えていた。じゃなかったら顕現したての倶利伽羅くんをバチボコに攻撃して、絶望や敗北感、怒りを教えようなんて発想にはならないと思うんだよね。

 

そんな“不完全”な2振りを優しく導いたのは、誰でもない政宗公でした。とは言っても何か特別なことをしたわけではなく、ただその生き方を、そしてそのときの「想い」をひたすらに見せていただけなんだけれども。生まれた時代も場所も天下を狙うには厳しく、天下分け目の大戦に参戦することも叶わなかった政宗公。たしかに「間に合わなかった」という想いはあったけれども、じゃあどうするかといったときに、政宗公は刀ではなく筆をとりました。それが今作の最重要アイテムの「手紙」へとつながります。時間を時間で埋めることはできないけれども、想いで満たすことはできるんだよね。そしてひとりで埋めるのが難しいなら、誰かと一緒に満たせばいいんだ。

 

顕現したてで鶴丸との実力差を見せつけられ、初陣では自分の力だけでなんとかしようとして独りよがりのまま敗北してしまった倶利伽羅くん。でも政宗公の生き方を見て「俺一人で十分」ではないことを受け入れ、その先に進むことができた。なんなら、隻手では手を打つことすらできなくても、それぞれの隻手同士を合わせたら音をならすことができるーーつまりは一人じゃできないことも、二人ならできるって倶利伽羅くんに教えてくれたの、政宗公というか梵天丸じゃないですか! 尊すぎる……

 

そして成長した倶利伽羅くんによって、鶴丸も「再生」できました。

初陣で敗北した倶利伽羅くんに「命預けられてもないのに手を出して悪かったな」っていうド級の皮肉をぶつけていたり、その後の『白き息』で「背中を預けるときがくるのか」って歌ったりしたことから察するに、鶴丸にもかつて命を、背中を、預けあえる存在がいたのだと思います。でも、おそらく失ってしまった。そして、誰かと命を預け合うことを一旦は諦めてしまったのかな、と。

鶴丸は、時間遡行軍の2度目の攻撃で、重傷を負ってしまいました。あのとき、お守りが発動したのかどうかはわからないけれども、ある意味では折れたのかなって思っています。そう、折れたのは、命を預け合うことを諦めた過去の鶴丸。そして、倶利伽羅くんという最強の味方を手に入れて「再生」したのだと。ここからパライソへと繋がっていくの、あまりにも熱すぎるでしょ……

 

ラストで、自分が掘った落とし穴に落ちて、まさに文字通り“墓穴を掘った”わけですが、墓穴って「墓」の「穴」なんですね。そんな墓の穴から手を伸ばし、その手を引き上げた倶利伽羅くんって……もうこれ以上説明するのは野暮って話よね。

 

それにしても、今回のキーアイテムが「手紙」っていうのがとてもよかったな。武将としての伊達政宗ではなく、人間・伊達政宗を感じることができた。そう、「手紙」っていうのは「想い」そのものでもあるんだよね。想いっていうのはそこにあるだけじゃなににもならなくて、「言葉」や「歌」にして「想い」の輪郭をはっきりさせることではじめて誰かに伝えることができるし、手紙という「モノ」になるからこそ、その「想い」が後世にまで残っていく。

想いは言葉へ 言葉は歌へ

「あなめでたや」で歌われていたこのフレーズがしっくりきたし、『東京心覚』でフワッと感じていたものが、よりいっそう鮮やかになったように思えます。

勝者が残した歴史書ではなく、その時代を生きた人の想いで綴られた物語は、とても優しく温かいものでした。

 

でもこれは、あくまで2振りの始まりの物語。鶴丸のエピソードゼロも見たいです!強欲なので!

 

はぁ、2振りへの想いが溢れてしまって、キャストの話まで辿り着けなかったや。いうまでもなくこの物語を最高に魅力的に仕上げてくれたのは主演の2人です。「みほとせ」の再演でキャス変となり新たに加わった牧島くんと、「葵咲本紀」のときは「この子は誰?」という状態だった来夢くん。そんないわばルーキーだった2人がど真ん中で物語を引っ張っていくのは本当にかっこよかったよ! そして、圧倒的な歌唱力と存在感で誰をも魅了してしまう政宗公役の岡さんと、チャーミングで愛さずにはられない唐橋さんもこの物語に説得力を与えてくれました。アンサンブルの面々も大活躍でしたね。

 

本日、無事に東京公演の幕が降りました。

明日には中止になってしまうかもしれない情勢のなかで、本当に奇跡だと思っています。

次は大阪公演! 最後まで全員乱舞で駆け抜けてください!!!!!!