形のないものを伝えるために ーミュージカル『刀剣乱舞』東京心覚の覚書ー

東京心覚、ゆっくり時間が取れないとわかっていても、

ちょっとでもかけらを拾い集めたくてアーカイヴを途切れ途切れに見ています。

そのたびに新たな発見をして、ボロボロ泣くっていう繰り返し。

なんでこんな刺さってしまったのかわからないけれども、

この物語は、これまでの刀ミュにずっと流れている「じゃない人の物語」の最たるものだったからなのかもな、

なんて思っています。

アタシは刀ミュのそういうところが大好きなので。

 

すでにいろんな考察がたくさん出ていて、今更何言ってんだって感じもあるけど、

この物語は殊更に「自分の言葉で咀嚼する」のが大事だと思ったので、思うままに書き進めていきます。


今回のテーマ、めちゃくちゃいろいろつめこまれているけけど、

「形のないものを、形にするお話」なのかな、なんて感じました。


たとえば「歌」。

「歌」は、形のない、だけど確実に存在する“想い”を形にしたもの。

そこにあるだけではそれ以上でもそれ以下でもないのだけれども、それを「歌」にすることで誰かに伝わる。

この作品は殊更に「誰かに伝えたい」という想いを形にしたのかな、なんて思っています。

心覚の作品性に引っ張られて、どうしてもポエティックになってしまうな。しかたないか。

 

そして「今回は全員相方いるね〜」なんて始まる前に無邪気に言ってたのですが、

これにも意味があったのかな、と思っています。

誰かがいることで、自分の輪郭がはっきりする。

自分自身の輪郭がぼやけていた水心子をはっきりさせるのは清麿なわけで。

 

水心子と清麿は、冒頭の歌に関係性のすべてが詰まっていたように感じます。

これ、水心子はひたすらに自分のことを歌っていて、

清麿はそんな水心子のコトだけを歌ってるんですよね。

水心子が自分のことしか考えていないとかそんなんじゃなくって、

水心子が、あまりにも純粋に理想を追い求めるあまり、この時点ではまだ周りが見えていないだけなんじゃないかな、って。

 

この曲でくりかえされる「水清ければ~」のあとに続く歌詞が、

清麿と水心子ではまったく違うのが興味深かったな。

ここでの「水」が水心子にかかってるのは言うまでもなく。

どちらもよく使われる表現ではあるのだけれども、

・清麿→「月宿る」 

 基本的にポジティヴな意味で使われる表現からもわかるように、

 清麿から見た水心子はひたすら清廉で、それを肯定している。でも

・水心子→「魚棲まず」 

 清廉すぎて他者を寄せ付けない様に使われる、どちらかというと

 ネガティヴな表現ではあるんだけど、新々刀の祖の名を冠する水心子の、

 1人でも進んでいく覚悟、みたいなものだと思っています。

そんな水心子に対し、

「心宿れば 魚も棲むかもしれないね」

って歌う清麿の優しさよ。「水」と「心」をその名に持つ水心子に徹底的に寄り添う姿は、愛でしかないんですよね……。

人類愛とか世界愛とかそういうどでかい愛。

 


そうそう、この曲の歌詞に「ほころびとなる」っていうのがあって。

これはもちろん、そこから壊れていくきっかけとなる「ほころび」なんですけど、

終盤の曲で、花が「ほころび」あなたが「ほころぶ」っていう、

同じ響きだけれども異なる意味を持つすてきな言葉に上書されているんですよね。

葵咲本紀で「咲」には「笑う」という意味があると教えてくれた刀ミュくん

(いや、調べたのは我々であって、明言はされていないのだけれどもw)らしい

優しい言葉遊びだなって、じわっときました。こじつけすぎか?

 

そして、形のない想いを伝えるための手段が「歌」ならば、

形のない想いを託したのが「花」かな、とも思っています。


今回、これまでの刀ミュにでてきた象徴的な花が羅列されていましたね。

泰衡殿と約束した「蓮」、源氏に縁のある「竜胆」、徳川(みほとせ・葵咲)の「葵」、

倶利伽羅が供えた「都忘れ」、村正が渡した「鳥兜」、

平将門に縁深く、さらに太田道灌の家紋でもある「桔梗」、そして今作の「山吹」……


花びらが舞う中で、将門や道灌らとともに歌った「花の歌」(タイトルわからないんで仮にそう呼びます)

は圧巻でした。その曲の後、落ちた花びらがまるで舞台の上に咲いた花のようで、

「ああ、この地にもちゃんと花が咲いたんだな」と、胸がグッと熱くなりました。

 

ラストの水心子君のメッセージは、びっくりするほどドストレートでしたが、

このご時世でお互いに頑張ってんだもんね。

エンタメを届ける側も、エンタメを楽しむ方もたくさん悩んで選択したからこそ、

全肯定してくれる水心子君の言葉がどれだけ心強かったか。

 

ミュージカルパートのラストの曲の

「これは問わず語り 聞いてほしかったひとりごと」

って歌詞が、もうすべての答えじゃんね。


そうそう、今回2部のライブパートににソロ曲がなかったんですよ。

8振りという多さもあるだろうけど、それだけじゃなくって

今回は「1人にしない」っていう意図もあったのかな、なんて思っています。

こんな時期だしね。

 

地震の影響で中止になったりと、なかなか一筋縄ではいかない公演ではありますが、

いろいろなところに素敵な花を咲かせて戻ってきてくださいね。

 

東京で、待ってます。