2振りの始まりの物語 ー鶴丸国永 大倶利伽羅 双騎出陣〜春風桃李巵〜ー

『静かの海のパライソ』大千秋楽で発表されてからずっと心待ちにしていた推しの刀の双騎出陣。タイトルの『春風桃李巵』は、伊達政宗が詠んだ漢詩の一節からきていたので、ストレートに政宗公のお話でくるんだろうな、というのは予想していました。そしてパライソ大千秋楽の特別演出で予告されていたように、大倶利伽羅が顕現して間もないころのお話だというところまではわかっていたのですが……こんなに、こんなに素敵なお話になるだなんて……! 観劇してからはずっと温かい思いに包まれていて、時々その思いをそっと取り出しては眺め、また大切に仕舞い込んでいるような日々です。

 

双騎出陣のタイトル通り、今回任務にあたるのは鶴丸と大倶利伽羅の2振り。時間軸としては「みほとせ」よりも前で、大倶利伽羅は顕現したてです。鶴丸は「先の任務の直後」といわれているので、この前に何らかの出陣があったんだろうね。これに関してはまた後ほど。

そして、今回の時間遡行軍の狙いは伊達政宗ということが明かされます。でも、どの時代、どのタイミングに現れるのかは不明のため、政宗公の足跡を辿りながら探っていくーーというのが、本作のざっくりした流れです。

 

パンフでも言及されていましたが、今作はいわばエピソードゼロとでもいうべき物語で、鶴丸と大倶利伽羅2振りの始まりのお話。筆まめだったという政宗公が書いた手紙や詠んだ歌を軸に、大倶利伽羅の成長と、鶴丸の再生が描かれていました。再生ってなんだよって感じだと思いますが、ここも後ほど触れていきます。

 

倶利伽羅って伊達家に伝わる以前の来歴がよくわかってないってこともあって、刀剣男士としての物語は「伊達家の刀だった」という話に全振りしてるんだよね。政宗公は言ってみれば大倶利伽羅アイデンティティそのもの。戦の度に帯刀されていたという伝承もあるけれども、大倶利伽羅が実際に伊達家に来たのは戦が終わってから。つまりは戦の刀としては「間に合わなかった」んです。

そう、この戦に「間に合わなかった」倶利伽羅くんっていうのは、同じく天下に「間に合わなかった」政宗公とリンクしているんだよね。戦以外に興味がないっていうのも、自分が出会えなかった「戦をしている政宗公」への強い憧れだったのかななんて想像しています。だからこそ倶利伽羅くんは焦っていた。

 

そして鶴丸はというと、どうやら“先の出陣”でなにかしら大きな出来事があったようでした。江水の時に明らかになった、この本丸の「折れた刀」絡みのことなのかな、なんて想像しています。冒頭で鶴丸が掘っていた穴はおそらくそのメタファー。倶利伽羅くんに対して「時間は埋められない」と言いながら、自分も「埋められないなにか」を持っていて、彼もまた焦りに似た感情を抱えていた。じゃなかったら顕現したての倶利伽羅くんをバチボコに攻撃して、絶望や敗北感、怒りを教えようなんて発想にはならないと思うんだよね。

 

そんな“不完全”な2振りを優しく導いたのは、誰でもない政宗公でした。とは言っても何か特別なことをしたわけではなく、ただその生き方を、そしてそのときの「想い」をひたすらに見せていただけなんだけれども。生まれた時代も場所も天下を狙うには厳しく、天下分け目の大戦に参戦することも叶わなかった政宗公。たしかに「間に合わなかった」という想いはあったけれども、じゃあどうするかといったときに、政宗公は刀ではなく筆をとりました。それが今作の最重要アイテムの「手紙」へとつながります。時間を時間で埋めることはできないけれども、想いで満たすことはできるんだよね。そしてひとりで埋めるのが難しいなら、誰かと一緒に満たせばいいんだ。

 

顕現したてで鶴丸との実力差を見せつけられ、初陣では自分の力だけでなんとかしようとして独りよがりのまま敗北してしまった倶利伽羅くん。でも政宗公の生き方を見て「俺一人で十分」ではないことを受け入れ、その先に進むことができた。なんなら、隻手では手を打つことすらできなくても、それぞれの隻手同士を合わせたら音をならすことができるーーつまりは一人じゃできないことも、二人ならできるって倶利伽羅くんに教えてくれたの、政宗公というか梵天丸じゃないですか! 尊すぎる……

 

そして成長した倶利伽羅くんによって、鶴丸も「再生」できました。

初陣で敗北した倶利伽羅くんに「命預けられてもないのに手を出して悪かったな」っていうド級の皮肉をぶつけていたり、その後の『白き息』で「背中を預けるときがくるのか」って歌ったりしたことから察するに、鶴丸にもかつて命を、背中を、預けあえる存在がいたのだと思います。でも、おそらく失ってしまった。そして、誰かと命を預け合うことを一旦は諦めてしまったのかな、と。

鶴丸は、時間遡行軍の2度目の攻撃で、重傷を負ってしまいました。あのとき、お守りが発動したのかどうかはわからないけれども、ある意味では折れたのかなって思っています。そう、折れたのは、命を預け合うことを諦めた過去の鶴丸。そして、倶利伽羅くんという最強の味方を手に入れて「再生」したのだと。ここからパライソへと繋がっていくの、あまりにも熱すぎるでしょ……

 

ラストで、自分が掘った落とし穴に落ちて、まさに文字通り“墓穴を掘った”わけですが、墓穴って「墓」の「穴」なんですね。そんな墓の穴から手を伸ばし、その手を引き上げた倶利伽羅くんって……もうこれ以上説明するのは野暮って話よね。

 

それにしても、今回のキーアイテムが「手紙」っていうのがとてもよかったな。武将としての伊達政宗ではなく、人間・伊達政宗を感じることができた。そう、「手紙」っていうのは「想い」そのものでもあるんだよね。想いっていうのはそこにあるだけじゃなににもならなくて、「言葉」や「歌」にして「想い」の輪郭をはっきりさせることではじめて誰かに伝えることができるし、手紙という「モノ」になるからこそ、その「想い」が後世にまで残っていく。

想いは言葉へ 言葉は歌へ

「あなめでたや」で歌われていたこのフレーズがしっくりきたし、『東京心覚』でフワッと感じていたものが、よりいっそう鮮やかになったように思えます。

勝者が残した歴史書ではなく、その時代を生きた人の想いで綴られた物語は、とても優しく温かいものでした。

 

でもこれは、あくまで2振りの始まりの物語。鶴丸のエピソードゼロも見たいです!強欲なので!

 

はぁ、2振りへの想いが溢れてしまって、キャストの話まで辿り着けなかったや。いうまでもなくこの物語を最高に魅力的に仕上げてくれたのは主演の2人です。「みほとせ」の再演でキャス変となり新たに加わった牧島くんと、「葵咲本紀」のときは「この子は誰?」という状態だった来夢くん。そんないわばルーキーだった2人がど真ん中で物語を引っ張っていくのは本当にかっこよかったよ! そして、圧倒的な歌唱力と存在感で誰をも魅了してしまう政宗公役の岡さんと、チャーミングで愛さずにはられない唐橋さんもこの物語に説得力を与えてくれました。アンサンブルの面々も大活躍でしたね。

 

本日、無事に東京公演の幕が降りました。

明日には中止になってしまうかもしれない情勢のなかで、本当に奇跡だと思っています。

次は大阪公演! 最後まで全員乱舞で駆け抜けてください!!!!!!