“最後の事件”を目撃してきました ーミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.5ー

2019年の日比谷での衝撃的な出会いから早4年。

ついに「モリミュ」ことミュージカル憂国のモリアーティが「最後の事件」に辿り着きました。

 

これまでの作品に関してはこちらを参照いただければ~。

(Op.4だけちゃんとまとめれてなかったけど)

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「最後の事件」。

それはシャーロキアンじゃなくても耳にしたことがある有名なエピソードで、

原典のそれが意味するのは「モリアーティー教授の死」です(シャーロックもなんだけど、続編もあったりするのでこの辺はグレーでw

 

本作では、ミルヴァートンにより犯罪卿がウィリアムであると暴露されたことで、「モリアーティプラン」が一気に加速していきます。当初の予定では、貴族と市民共通の敵となった“モリアーティ”(つまりは三兄弟)の死で完結するはずだったのが、いつの間にか“ウィリアム”の死がこのプランのゴールになっていました。

 

そう、ここでは「最後の事件」≒「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティの死」なんです。

 

Op.5では、ウィリアムにはずっと「死のようなもの」がまとわりついていました。その辺の演出は視覚的にもわかりやすく、不気味なマスクを被った人たちが常にウィリアムを取り囲んでいましたね。「死神」なのか「亡霊」なのか「死への誘惑」なのかはわかりませんが、“あちら側”の人たちだというのは確か。そんな「死」に囚われ、さらにはそこに救いすら見出しているウィリアムと、彼のことをどう思い、その思いを受け止めた上でどうしたいのか、ということが徹頭徹尾描かれていたように思えます。

 

モリアーティ陣営は、全ての感情がウィリアムに集約されていました。

全ての罪は自分が背負うべきだと誰よりも自罰的なアルバート。愛しているからこそ死なせたくないルイスとフレッドに対して、モランは愛しているからこそたとえ死に向かっていようともその思いを全うさせてあげたいと思っている。モリアーティ陣営のソロ曲はそんな思いを切々と歌うものでした。でもねぇ、全部一方通行なの。感情が全く交差しない。

 

それに対して、シャーロックはやっぱり強い。シャーロック陣営もウィリアム同様、全ての感情がシャーロックに集約されてはいるんだけれども、モリアーティのそれと大きく違うのは、ジョンという、対等な立場で心を通わせる人がいるってとこなんだよね。「友情」を信じて疑わないからこそ、ウィリアムに纏わりつく「死」すら意に介すことなく手を伸ばすことができたんだろうな、と。

 

そして、そんな両陣営の思いをつなぐようなポジションにいたのがボンドくんだったように思います。

ボンドとしては、死を救いにしようとしている「ウィルくん」の思いを大切にしたいんだけど、アイリーンとしては「ウィリアム様」を助けたい。ソロではアイリーンの顔が強く出ていたように感じます。両陣営と深く関わっていたからこその思いだろうし、「絆(ボンド)」の名を体現しているような歌でした。

 

 

 

原作を読んでいるから、この物語の向かう先は知っているのだけれども、それでも彼らがこの世界をどう生きて、どう感じて、どう進もうとしているのかというのを生身の人間を通じて見せられるというのは、とてもつらく、胸が潰れそうになりました。

 

モリミュの何が好きかって言われたら、オタク特有の早口でいろいろ捲し立ててしまいそうですが、やっぱり一番大きいのは『憂国のモリアーティ』の深い部分までを理解したうえで、舞台というフォーマットに再構築している部分なんですよね。憂国のモリアーティという作品を、舞台で、ミュージカルで表現する意味がちゃんとそこにあるから。

 

Op.5でいちばん楽しみにしてたーーというとちょっと語弊があるかもしれないけど、やっぱり原作も大好きな身としては、「最後の事件」のタワーブリッジのシーンがどのように“再現”されるのか、なんなら前作のときからずっとワクワクしていたんですよね。原作では橋からまっさかさまに落ちていき、そこでようやくウィルをキャッチするわけですが……

橋から落ちたのはウィリアム、そして数多の「死」たちでした。「死」は橋の下にとどまり、ウィリアムだけがシャーロックの元へ行き、ゆっくりとその背に手を回す。やっと、やっと、やっと。捕まえられることを選んだ。そこに答えはあった。死の誘惑を振り切って。想像していた以上に美しく、力強いシーンでした。元々あった物語に、演劇の想像力を付加して新たな表現として差し出される。それこそが舞台化の醍醐味であり、だから2.5次元の舞台が大好きなんだな、と強く思いました。

 

 

そして、この作品のもう一方の主役といえば、アンサンブルの方々が演じる市民たちです。今回、誰がどの役を演じたかまで細かく発表されていて「愛だぜ……」って感動したんですけど、いやほんと、彼らに何度心揺さぶられたことか。もちろん、ポジな意味だけではなく、ネガな方向にも持っていかれました。そりゃそうだ、ウィリアムの計算通りとはいえ、今回は憎しみがウィリアム(というか、ジェームズ・モリアーティという存在)に向けられているのだから。そして、終盤では“モリアーティ”の死を喜び、それに伴って命を落としたシャーロックの死も「必要な犠牲」だったという風潮で弔うことなく、ひたすら歓喜に満ちた歌を歌い、笑顔に溢れていたんですよね。別に彼らが愚かだったわけではないと思うんです。ただ、その素朴な感情がひたすら残酷だったし、だからこそメインキャラたちとのコントラストが際立ってとても良かったです。

 

 

それにしても、本当に「最後の事件」まで描き切ってしまったんだね。製作陣やキャストたちはしきりに「ファンのみんなが育ててくれた」っていってたけど、原作と、ミュージカルと、観客との関係性がここまで綺麗にハマった作品ってなかなかないんじゃないかなと思っています。

 

アタシはというと、推しが出るから知っただけで正直原作すら知らなかった。原作を読んで、面白さにのめり込んだ。Op.1で2.5次元の可能性に打ち震え、終演後リピーターチケットの列に並んだ(そして同じようにやられた人が多くて、リピチケはかなりの列になっていた)。Op.2でコロナ禍になり一つ飛ばしの座席の中で、この舞台が続くことをひたすら祈っていた。そして、原作を追いながら続編を待ち、原作とミュがクロスしていく中、あの続きをミュで見たい!と強く思うようになっていた。間違いなく2.5次元舞台っていうジャンルの中の最高峰だと思っている。

 

個人的にはルイスのラストシーンがめちゃくちゃに嬉しかったです。推しだからってのはもちろんあるのですが、原作で胸熱になった覚悟のシーンがこんな形で消化されるとは! ありがとうございます……。

 

うっすらと希望を感じさせるラストシーンと、グッズのシークレット(Op.5その後の姿でした)から、まだまだ続きを描けそうな気もするけれども、この美しいままで一旦幕引きっていうのもいいよな、なんて両方の気持ちを持っています。あぁ、でもやっぱり見たいよー!スピンオフでもいいし、なんならあの楽曲を活かしたコンサートでもいい! ジャンフェスに出るということで淡い希望を抱いていてもいいですかね?

 

とりあえずは、「最後の事件」まで、完走お疲れ様でした! 本当にこの作品に出会えて良かったよ~!!!!!