『静かの海のパライソ2021』考察未満の雑感

わずか7公演で終わってしまったあの日から、ずっと待ち望んでいた「静かの海のパライソ」。気づいたら残すところ宮城公演のみとなり、大千秋楽が一歩ずつ近づいてきました。

 

初演から大きく変わった演出は、記憶の限りだとほとんどなくって

倶利伽羅くんと豊前くんのソロが変わったくらい?)

基本的には初演で伝えようとしていたものをそのまま届けてくれた印象です。

 

刀剣男士は言うまでもなく「歴史を守る」のが使命で、それが彼らのアイデンティティでもあるわけですが、ではその守るべき「歴史」とは何なのか――。

刀剣乱舞の派生作品である刀ミュ・刀ステともに「歴史」に向き合いながらその本丸ごとの答えを探しているのかな、なんて思っています。

 

過去作含めたネタバレあります

 

刀ミュ本丸では、阿津賀志山の「どうしてれきしをかえてはいけないの?」という今剣のシンプルな疑問から始まり、「歴史」を守るために元の主の命を絶つこともあれば(天狼傳、むすはじなど)、そのために長期にわたって主を育て上げたこともありました(みほとせ)。

 

刀ミュ本丸には「三日月宗近という機能」があって、「歴史の流れの中で悲しい役割を背負わされれた人」を歴史の流れを変えない程度に救うことができます。『つはもの〜』から登場した概念で、明確な描写があったのは、パッと思いつくのだと『つはもの〜』の泰衡殿、や『天狼傳』再演の沖田くん、『東京心覚』の将門公あたりかな。

 

「歴史の流れを変えない程度」というのは、裏を返せば救える人は限られていて、全ての人に等しく手を伸ばすことはできないんだよね。そこに懐疑的なのが明石国行ってわけですが、この辺は前に別エントリで書いたので割愛。

ご参考までに

 

ucok.hatenablog.com

 

 

 

さてパライソに話を戻します。

今回の任務は「島原の乱」の歴史を守ること。

『東京心覚』では水心子くんが疑問をいだいていましたね。「この歴史は守るべきものなのか?」と。

 

島原の乱もまさにそれで、この歴史を守るというのは、つまりは凄惨な結末へ導くこと。そりゃ主も言い淀むわ……

 

大まかな流れはこっちのエントリにあります。

 

ucok.hatenablog.com

 

 

そして『パライソ』で「悲しい役割を背負わされた人」は「三日月宗近という機能」では救いきれない多くの人々。完全に詰みなんですよね。

 

でもね、詰んだ状況でもなんとかしなくちゃいけないのが刀剣男士なんですよ……

 

そんな中で隊長となった鶴丸が選んだのは「鬼になること」でした。

鶴さん、会話のキャッチボールをしないんだよね。一見コミュニケーションをとっている風なんだけど、この任務に誰かが疑問を抱きそうな流れになると、断ち切って別の話に無理矢理繋げる。

 

一番わかりやすかったのは、一揆軍の少年と仲良くなった浦島くんに対してかな。

倶利伽羅くんが「あまり深入りするな」と告げたんだけど、その真意までは語らせなかった。

倶利伽羅くんは『三百年〜』で、一介の農民・吾兵と心を通わせたものの、彼は時間遡行軍にやられて命を落としてしまった。「まるで兄弟のようだった」とのちに青江さんが語ったくらいの関係だったからこそ、ひどく胸を痛めたことは想像に難くない。だからこそ「あまり深入りするな」という言葉が出てきたんだと思うんだけど、鶴さんは先回りして、倶利伽羅くんの意図が伝わる前に「歴史が変わってしまうから」とそれっぽい理由をつけて浦島くんにその先(少年たちに必ず訪れる死)を考えさせないようにしていたんです。

 

それ以外にも先回りして会話をぶった斬るぶった斬る。主が部隊に告げようとした任務先、右衛門作の説明をしようとした松井の言葉、右衛門作が吐露しようとした思い……

 

メタなことを言ってしまうと「ここで全てを言ったら物語としての面白さが半減する」っていう技術的なこともあるとは思うんですが、それだけじゃなく、たどり着く結末のために仲間たちの心の負担を減らそうとしていたのかな、なんて。

 

そして「パライソ」は背景の月が他作品よりも印象的だったんだけど、鶴さんが本心を隠しているであろうシーンの月は全て雲がかかっていたり、ちょっと欠けていたりして見えないんだよね。

でもね、「見えない部分も月」だし(つはもの)、「見えていなくてもそこにある」(心覚)んですよ。鶴さんが彼らに見せていた姿は、鶴さんの一部でしかないんだ。

 

そんな鶴さんの見えない部分もちゃんと見て、察して、支えてあげた倶利伽羅くん、最高にかっこよかったです。ヒールに徹しているのがわかっているからこそ、自分も「共犯」になった。己のことをあまり語らない倶利伽羅くんが、剣舞をしながら鶴丸への思いを歌うだなんて、予想だにしてなかったよ。

興奮して書き散らかしたふせったはこちら。

 

ちなみに初演では謎の筋トレソングだったんですけど、もう曲もなにもかも覚えてなくて、懸垂してたな、とかそういう朧げな記憶しかないんだ……。パンフレットにある上着なし倶利伽羅くんがそのときのです。

 

 

『静かの海のパライソ』は、救いのない地獄を描いた作品ですが、同時に彼らが軌道修正して辿り着いた壮絶な結末は、実際に起きた出来事でもあります。

お話の作りとしてはとてもわかりやすく、メッセージもとてもシンプルだったな。だからこそちゃんとした形で届けてくれたのが本当に嬉しくて。

歴史上の人物ではなく、市井の人たちの歴史を描いたからこそ、『東京心覚』にも繋がるし、また違う角度から物語を味わえるような気がしています。

 

伊達の刀が率いる部隊は、いよいよ仙台へ向かいます。

どうか、あのとき見られなかった大千秋楽の景色を、その地で見せてください。残念ながら現地に足を運ぶことはできませんが、配信で見守りたいと思います。

夜が明けたその先へ ーミュージカル『憂国のモリアーティ Op.3』ー

ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.3千秋楽おめでとうございます。

途中アクシデントで数公演できなくなってしまったけれども、なんとかここまで来れてよかったです。大袈裟でもなんでもなく、本当に祈るような思いでした。

ということで、今回はガッツリと内容に触れたいと思います。本編だけでなく原作最新巻に関するバレもあるかと思うので、もし未読でバレを踏みたくない方は回れ右をしてください。

 

今作で強く感じたのは“個”へのフォーカス。ソロ曲が多く、それぞれのパーソナルな部分を曝け出したようなナンバーが目立ってたように感じます。

本格的に「モリアーティプラン」を始動させるウィリアムの覚悟と、自責とも取れるアルバートの吐露。ウィリアムの描く未来にいないのは、“モリアーティ”ではなくウィリアムだけなのではないかとなんとなく察しているようにも思えました。

そして、もうひとつ色濃く描かれていたのが、ウィリアムからシャーロック、そしてシャーロックからウィリアムへの想い。これを腐女子的な矢印で捉えるのはあまりにも安直すぎて興醒めしてしまうのですが(アタシがそういう性質なだけで、否定する気はさらさらないです)それでもオタクの便利な言葉を使うなら「クソデカ感情」が真正面からぶつけられているんですよね。

“謎”に惹かれると歌うシャーロック。その“謎”そのものが“犯罪卿”であるというのも分かっている。ただ、Op.2のときのシンプルな執着ではなく、そこに「彼は義賊ではないか」という疑念(もしくは希望か?)が生まれ、真実に触れようとする。

シャーロックはデタラメに見えるけど、すごく真っ当で善の人なんだよね。感情も楽曲もややこしいけれども、それをブレずにまっすぐ届ける平野良さんの力量たるや。

一方ウィリアムは、どんなに周りに仲間がいても孤独でしかなかった。まぁこれはウィリアムの優しさゆえだと思っているんですけど。仲間たちを愛するが故に、独りですべて背負おうとしていた。そしてモリアーティプランという破滅への道を進み始めていたのだけれども、そこにシャーロックが現れた。歌詞の中に何度もでてくる“風”は、きっとシャーロックのことだよね。孤独な部屋に吹く風……。

自分が進むべき茨の道の中に、微かだけれども希望を見出してしまったウィリアム。もちろんその希望に救いは求めないのだけれども、それでも「風が吹くことは神も許されるだろう」という、ささやかすぎる願いを歌うだなんて。

鈴木勝吾さんの美しく力強いハイトーンボイスが、ウィリアムの高潔さと相まって胸に刺さりました。

そんな2人の感情が絡まり合った象徴的な楽曲が『輪舞曲』(タイトルわからないんで適当いってます)だと思っています。ウィリアムは「最後(最期?)の日まで」、シャーロックは「お前を捕まえるまで」 って歌っていて。このCP推しだったら泡吹いて死んでたな……。

もちろん、この2人のやりとり以外にもたくさんの見せ場がありました。

個人的にめちゃくちゃ昂ったのは「ホワイトチャペル〜」での兄弟共闘! ルイスの眼鏡が外れたらそれはもう本気モードですよ。原作にもあった互いの武器を交換して戦うシーンは、なるほどこうなるのか〜〜〜と大興奮。推しへの贔屓目もあるかもしれませんが、それをさっ引いても山本一慶さんの殺陣ってめちゃくちゃ速くてかっこいいんですよ……長物を振り回すの、もっとください!(欲望だだ漏れすな)

そうそう、せしるボンドくん最高に素敵でしたね。あっという間に夢女ですよ……。欲をいえば銀行での8カウントも見たかった! ヤードの衣装を着たときの帽子をクイっとあげる仕草と角度が完璧すぎました。足ドンもありがとうございます。

レストレード劇場も楽しかったな。シリアスシーンが多かったから、いい具合にポップでよかったです。まあ内容はアレだし、いささかポップすぎる内臓ではありましたがw

新キャラも最高でしたね。

まずはジャック。モリステはスタイリッシュな印象でしたが、モリミュはエネルギッシュって感じでしたね。(どっちも違って好きよ!)ガハハ笑いのにあう豪快さで、頼もしかったです。元気なイケオジは健康にいい……。

前回もちらっと書きましたが、パターソンはかなり好き眼鏡でした。彼もまたウィリアムにクソデカ感情を抱えているのですが、今作ですでにそれが描かれていたので、彼の為人が見えやすかったように思えます。

「あなたのコウモリとなりましょう」と歌うシーンはかーなりゾクゾクしましたね(ただの“癖”です)。ただ、コウモリっていうのは、ヤード内通者としての“卑怯なコウモリ”(イソップ寓話のアレね)を指しているのか、それとも“使い魔”的な意味なのかは実はちょっと分かっていないんですけどね。それとも両方なのかしら?

輝馬さんのパターソンが原作からそのまま出てきたようなルックスで、気が狂うかと思いました。歌のうまさは言わずもがな。

そしてそして、ついに登場しましたね。しちゃいましたね、ミルヴァートン。救いようのない悪というか、この物語において最低最悪のキャラクターなんですけど。

藤田玲さんのミルヴァートンはホントに強い。歌もお芝居も強すぎるよ……! 立ちはだかるのはこうでなくちゃね。悪党のくせに色気があるのもとてもいいです。

 

「ホワイトチャペルの亡霊」を中心にしつつ、パーソナルな部分にスポットを当てた物語でしたが、最後のエピソードはダラム大学での出来事。アニメではカットされてしまったのですが、このお話って今後につながる重要なピースだと思うんですよね。だから入れてくれたのが本当に嬉しくて。

このエピソード自体は、おそらく映画『グッド・ウィル・ハンティング』が元ネタですよね。学生の名前もビル・ハンティング(ちなみにどんなルールでなのかはわかりませんが、ウィリアムの愛称がビルになるってのはよくあります)ですし。

陰鬱とした戦いの中、ビルを介してただひたすら未来への希望だけが描かれたこのパート。互いに腹の探り合いはしているんだけれども、そこには友情にも似た奇妙な信頼関係もあって。

眩しく光に満ちた旋律だからこそ、闇とのコントラストが強くなる。これから彼らに待ち受けていることを思うと胸が潰れそうになるけれども、この先に続く物語が見たいと強く感じました。


このカンパニーが描く『憂国のモリアーティ』が大好きです。

ー運命の夜が明けるー

夜が明けたその先を、どうか一緒に見せてください。

モリミュの幕が上がりました!~ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.3初見の感想~

推し作品“モリミュ”ことミュージカル「憂国のモリアーティ」Op.3の幕がついに上がりました。まずは初日おめでとうございます!

2.5という枠組みでありながら、その先の可能性を見せてくれるのがモリミュだと思っていて。いや、てんごを下にみてるとかそういう話じゃなくてね。そもそもてんご大好きですし! 原作をなぞるだけではなく、人が歌い演じるという意味がそこにちゃんとあって、原作にある“想い”を汲みとりミュージカルという表現で昇華する。それがモリミュ最大の魅力だと思っています。

そしてOp.3、すばらしかったです。

いつもならバレありの感想であそこがどうとかここがどうとか言いまくるんですけど、今回は配信でもいいから、とにかく全人類に見てほしいのでなるべくバレナシで行こうと思います。ちょっとでもバレが嫌な人は回れ右して配信買っちゃって~!
https://www.dmm.com/digital/stage/-/theater/=/name=moriarty_op3/

タイトルにあるからこれはバレにすらならないと思うんですけど、今回は原作7~8巻「ホワイトチャペルの亡霊」を軸にして物語が進みます。ということで、新たにジャック、パターソン、ミルヴァートンがイン。(アータートンもいるよ!)特にパターソンは原作でもかなり好きなキャラなので、輝馬さんのホンモノっぷりがたまりませんでした。オタク特有の錯覚で言うなら、股下は5メートルありましたね……うう、これは好きメガネ……。

それぞれが歌唱力お化けなのは既にみなさんご存知だと思うんですけど、今回も期待を裏切らない圧倒的な“歌力”(うたぢから)。縦横無尽に暴れ回る旋律を捉え、熱を込めて放たれた歌は、ダイレクトに心を震わせる。今回はそれぞれの心情を丁寧に描写した楽曲が多かったので、今後の展開を思うと胸が苦しくなりました。

そう、今回はその後の彼らと地続きな描かれ方だったんですよね。演者さんが原作をどこまで読み込んでいるかはわかりませんが(インタビューを読む限りだと鈴木勝吾さんは先まできっちり読んるっぽいですが)、脚本・演出の西森さんはそこまでを見据えて作っているんだなと。

そして、ウィリアムとシャーロックの関係性を語るうえで絶対外せないであろうエピソード(そう、アレですアレ!)をきっちり入れてくれたことに感謝しかありません。ウィリアム、あなたそうやって笑うのね……。

こんなの原作好きなオタクだからそういってんだろ~って思うかもしれないですが、いや、「原作知らねーよ」って人はめちゃくちゃラッキーなんですよ!だって、あのホワイトチャペル~の超面白い展開をまっさらな気持ちで見られるんですよ!? これはもう願ってもかなわない望みなのでホントにうらやましい……。

もちろん原作勢にはそれとは違う発見が山ほどあるだろうし(ありました!)、キャスト目当ての人たちも「こんな推し見たことない!」って思うくらいそのポテンシャルを感じられる作品になっていると思います。

「2.5でここまでできるの!?」と衝撃を受けた初演、コロナ禍での希望の光となったOp.2、そして未来へと続く架け橋となるであろうOp.3。

まずは、このコロナ禍の中で無事に幕が上がったことへの祝福を。そして願わくば1公演でも多く“勝ち取って”、大千秋楽の景色が見られますように。
残念ながらもうチケットがないので再度現地にいくことはできませんが、配信で彼らが紡ぐ物語を見届けようと思います。

Op.4、待ってますね!!!!!!!

『東京心覚』エピローグのようなもの。

『東京心覚』が無事に大千秋楽を迎えて1週間。ディレイ配信も終わってしまい、思った以上にロスっています。こんなはずじゃなかった……(通常運転です)
 
初日は現地だったのですが、なんとなくお話の輪郭は掴めたものの、はっきりとはわからなくって。終了後、TLには「わっかんねーけど顔がいい」みたいなしょうもない感想が乱立していました。や、その気持ちもわかる。そこだけは確実にわかったもんね。(アタシだってそう思った)。

初日公演の配信後は、とりあえずキャラもしくはキャストに萌える勢、例のごとく考察する勢、わかりにくい物語にブチ切れる勢などなどがいて、ちょっとしたパニックになっていました。

そりゃそうだよ。これまではゲームの出陣と同じ6振りだったけど、8振りが出演することになったし。時系列や出陣先がバラバラで、水心子くんと同じくらいアタシたちも混乱していたし。(律儀に、どこかに出陣してるときはきちんと6振りだったんですけどね)

アタシはというと、見終わったときに感じた優しい思いと、ボロボロ泣いてしまった気持ちの正体が知りたくて、この物語をなんとか読み解こうと、まずは整理することから始めました。彼らはどこに出陣したのか。そして水心子は何を見たのか。たくさん考えて、あれこれピースを当てはめて導き出した答えは……

「わからなくていい」

陣場所は、タイトル通り「東京」。東国の独立だとか、江戸城を建てたとか、江戸を護ったとか、江戸を明け渡したとか、いろいろ歴史的なことは描かれているんです。でも、この物語で一番大事だったのは、
「そこで、誰が、何を思っていたのか」
ということに尽きると感じて。だから物語を“大きな流れ”ではなく“エピソード”で描いたのかな、と。

感じることに重きを置いてからは、まるで万華鏡のように、見るたびに見えるものが違っていました。そしてその度に、あたたかなギフトを受け取っていて。
 

好きなエピソードをあげたらキリがないけれども、個人的に今回一番響いたのはソハヤと天海の物語かな。
ソハヤノツルキは、家康の死後、彼の遺言に基づき久能山に奉納された刀。地図をみながら光世が「誰かがしまわれていたような……」って言ってたのはこのことね。(まぁあのやりとりでなんとなく察せるとは思うけど)
霊的な力によって江戸を守ることが、彼に与えられた“役割”。
そして、天海もまた、霊的な力で江戸を守る“役割”を担っていた人なんだよね。

ソハヤは、長いこと使われずに仕舞われてたことを根に持っているっていうのが公式設定なんだけど、それ以上にミュのソハヤには、江戸を守りきれなかった後悔っていうのがことさらに大きい気がして。

たとえばソハヤが「たまや〜!」と叫ぶシーンがあったけど、あれは花火なんかではなく、上野戦争の砲撃の音。「霊力で江戸(江戸幕府)を守る」という自分に課された役割が終わる瞬間を見ながら、まるで花火のような掛け声をかける皮肉っぷり。役割を果たせなかったことに対して、負い目すら感じていそうだった。

そんなソハヤとともに、7体の将門公の怨霊を封印した天海。「ついて来い」と命令するのも、数珠を渡すのもソハヤなんだよね。そして入寂のときソハヤにいうんです。
「本意ではなかったろうが、おかげで江戸は守られた」って。
この言葉を初めて聞いた時は、天海がソハヤたちを振り回したことを指してるのかなって思ったんですけど、違う。そうじゃない。
これは、ソハヤノツルキを久能山に仕舞ったことを指しているんだよね。天海は、ソハヤが“あの”ソハヤノツルキだってちゃんとわかってた。江戸を守りきれずずっとずっと後悔していたソハヤに、物理的に江戸を守らせ、さらにその存在を全肯定してくれた。もしかしたら、ソハヤが一番欲しかった言葉かもしれない……。

ソハヤは天海のこと「苦手なんだよな〜」って言ってたけど、心の底から苦手じゃないと思うな。家康のことだって狸爺って言いながらも顔が笑ってるような子なんでね(回想読んでね)。

今回は特に推しがいないな〜!みんなかわいいね〜!なんて言いながら、気づいたらソハヤのグッズをわさわさ買ってたんですが、見た目がドストライクってのもあるけど(おおいにあるけど!)、「光」だけじゃない、憂いみたいなのがみえたからってのもおっきかったような気がしてます。

無事に幕が上がったかと思ったら地震にあったり、緊急事態宣言で大阪公演が無くなったりして、一時はどうなることかと思いましたが、なんとか最後まで駆け抜けることができて本当によかった。「東京心覚」にはいろんな要素が詰め込まれているけれども、いちばん大きな要素は、歴史に残らないようなアタシたちの日々に対するエールだと思っているので!

大千秋楽のカテコで見せた水心子くんの涙は、水心子くんのものなのか、演じるこにせくんのものなのか、その両方なのかはわからないけれども、涙を零しながらもその感情に流されることなく言葉を紡いでくれたのが、刀剣男士然としていて素敵でした。誰かが呟いていたけれども、みんな刀剣男士として初めて迎えた千秋楽だもんね。ここからまた新しい歴史が始まるんだね。


おかえりなさい。そして、素敵な物語を最後まで紡いでくれて、ありがとうございました!

「无」から生まれた物語 ー舞台『刀剣乱舞』无伝 夕紅の士 初見の感想ー

どうしよう、どこから書いていこう。とりあえずこの状態でアウトプットが必要だと思ってこれを書いています。

 

无伝の配信見ました。5月に現地はあるのですが、現地に行ったら頭がバカになって「ラッセラ〜!フ〜〜〜〜〜〜!」ってなってしまうことが天伝で分かっってしまったので(残念すぎるな)まずは配信で話の骨をちゃんと掴もうと思って、日曜の夜に見るという暴挙に出てしまいました。結果興奮してこの有様です。明日は校了日なんですけど……

 

さて、大坂夏の陣。歴史に抗うため自害してしまった信繁に代わって、その役割を演じようとした大千鳥くん。意外と上手く行ったりして〜なんてことはなく、割と早くにバレてしまいましてね。しかもそこには真田十勇士がいるんですよ。真田の兵が持っていた有象無象の刀に無理矢理物語を付与して、(おそらく如水が)顕現させた、これもある種の刀の付喪神みたいなもんですよね。

実は、記録や逸話だけが残っていて現存してない刀剣男士なんて全然珍しくなくて、だからこそ真田十勇士に関してはなんだかこう、遠からずみたいな気持ちになってしまうんですよね……。出てきた瞬間からもう愛おしくって……そして物語のなかでも明確な「敵」としては描かれていないんだよね。ただ役割を与えられてしまっただけで。

 

それにしても、思った以上に大千鳥くんの存在に関して、わりとぐいぐい行ってたね。大千鳥くん、真田の逸話をもつ槍として顕現しているけど、その真偽は定かではないんですよ……。このへん、回想とかでフワッと言われているくらいだったので、初手でこのネタぶっ込んできたのはわりとびっくりしました。

 

そして、三日月さんと高台院の関係性がとても理想的で美しかったのに対し、長谷部と如水の関係性があまりにも歪でつらかったな。あれ、長谷部は相手が誰なのかちゃんとわかってたのかな……?その辺アタシの理解があやふやなので、のちほど確認したいと思います。

 

天伝のまんばちゃんと清光のやりとりに当たるのが、无伝では三日月さんと鶴さんの会話だったんだろうな。あそこみて、いまなら慈伝に向き合えるかもな、なんて思いました。めちゃくちゃエモいシーンなのに、メモには「衣裳展」って書いてましたすみません……

 

あ、そういえば、秀頼様の介錯に使ってた刀、一期一振でしたよね……? この記憶って、いまのいちにいになんか影響でるのかな。過保護なので、この記憶もろとも焼けてほしいのですけれど(過保護)。

 

今回サラッと言われてましたが、歴史改変されたら、その時間軸を放棄して閉じちゃうことができるんですね。「放棄された世界」はそうやってできてたのか……。余計なもの取り除いて放棄するって感じなのかな。そんで異物を上手く取り除けなかったときに刀剣男士が派遣されるってことなのかしら?

 

「无」ってのは「無」なのだけれども、ああ、そうか、存在しない=无から生まれた真田十勇士と、存在が限りなく无に近い大千鳥の物語でもあるんだよなあなんて、ふわっと思いました。でもね、「伝」がついた時点で物語なんだよ。もう、彼らには物語があるんだよ、なんて。

そして「夕紅」は炎で燃えている大坂城と、戦乱の世の終焉の暗喩だけじゃなく、真田の赤備えも含んでいるのかな、とも思いました。

 

こんな感じで全然考察までに辿り着いてないけど、とりあえず興奮だけドロップしておきます。我ながらかなりとっ散らかってるなw ああああ、ラストの顕現(!)とあそこがアレになったのやばいですね。バレありブログだけどそこまで言うのは無粋だと思うのでやめときます。

 

まずは5月。回ってきます。

形のないものを伝えるために ーミュージカル『刀剣乱舞』東京心覚の覚書ー

東京心覚、ゆっくり時間が取れないとわかっていても、

ちょっとでもかけらを拾い集めたくてアーカイヴを途切れ途切れに見ています。

そのたびに新たな発見をして、ボロボロ泣くっていう繰り返し。

なんでこんな刺さってしまったのかわからないけれども、

この物語は、これまでの刀ミュにずっと流れている「じゃない人の物語」の最たるものだったからなのかもな、

なんて思っています。

アタシは刀ミュのそういうところが大好きなので。

 

すでにいろんな考察がたくさん出ていて、今更何言ってんだって感じもあるけど、

この物語は殊更に「自分の言葉で咀嚼する」のが大事だと思ったので、思うままに書き進めていきます。


今回のテーマ、めちゃくちゃいろいろつめこまれているけけど、

「形のないものを、形にするお話」なのかな、なんて感じました。


たとえば「歌」。

「歌」は、形のない、だけど確実に存在する“想い”を形にしたもの。

そこにあるだけではそれ以上でもそれ以下でもないのだけれども、それを「歌」にすることで誰かに伝わる。

この作品は殊更に「誰かに伝えたい」という想いを形にしたのかな、なんて思っています。

心覚の作品性に引っ張られて、どうしてもポエティックになってしまうな。しかたないか。

 

そして「今回は全員相方いるね〜」なんて始まる前に無邪気に言ってたのですが、

これにも意味があったのかな、と思っています。

誰かがいることで、自分の輪郭がはっきりする。

自分自身の輪郭がぼやけていた水心子をはっきりさせるのは清麿なわけで。

 

水心子と清麿は、冒頭の歌に関係性のすべてが詰まっていたように感じます。

これ、水心子はひたすらに自分のことを歌っていて、

清麿はそんな水心子のコトだけを歌ってるんですよね。

水心子が自分のことしか考えていないとかそんなんじゃなくって、

水心子が、あまりにも純粋に理想を追い求めるあまり、この時点ではまだ周りが見えていないだけなんじゃないかな、って。

 

この曲でくりかえされる「水清ければ~」のあとに続く歌詞が、

清麿と水心子ではまったく違うのが興味深かったな。

ここでの「水」が水心子にかかってるのは言うまでもなく。

どちらもよく使われる表現ではあるのだけれども、

・清麿→「月宿る」 

 基本的にポジティヴな意味で使われる表現からもわかるように、

 清麿から見た水心子はひたすら清廉で、それを肯定している。でも

・水心子→「魚棲まず」 

 清廉すぎて他者を寄せ付けない様に使われる、どちらかというと

 ネガティヴな表現ではあるんだけど、新々刀の祖の名を冠する水心子の、

 1人でも進んでいく覚悟、みたいなものだと思っています。

そんな水心子に対し、

「心宿れば 魚も棲むかもしれないね」

って歌う清麿の優しさよ。「水」と「心」をその名に持つ水心子に徹底的に寄り添う姿は、愛でしかないんですよね……。

人類愛とか世界愛とかそういうどでかい愛。

 


そうそう、この曲の歌詞に「ほころびとなる」っていうのがあって。

これはもちろん、そこから壊れていくきっかけとなる「ほころび」なんですけど、

終盤の曲で、花が「ほころび」あなたが「ほころぶ」っていう、

同じ響きだけれども異なる意味を持つすてきな言葉に上書されているんですよね。

葵咲本紀で「咲」には「笑う」という意味があると教えてくれた刀ミュくん

(いや、調べたのは我々であって、明言はされていないのだけれどもw)らしい

優しい言葉遊びだなって、じわっときました。こじつけすぎか?

 

そして、形のない想いを伝えるための手段が「歌」ならば、

形のない想いを託したのが「花」かな、とも思っています。


今回、これまでの刀ミュにでてきた象徴的な花が羅列されていましたね。

泰衡殿と約束した「蓮」、源氏に縁のある「竜胆」、徳川(みほとせ・葵咲)の「葵」、

倶利伽羅が供えた「都忘れ」、村正が渡した「鳥兜」、

平将門に縁深く、さらに太田道灌の家紋でもある「桔梗」、そして今作の「山吹」……


花びらが舞う中で、将門や道灌らとともに歌った「花の歌」(タイトルわからないんで仮にそう呼びます)

は圧巻でした。その曲の後、落ちた花びらがまるで舞台の上に咲いた花のようで、

「ああ、この地にもちゃんと花が咲いたんだな」と、胸がグッと熱くなりました。

 

ラストの水心子君のメッセージは、びっくりするほどドストレートでしたが、

このご時世でお互いに頑張ってんだもんね。

エンタメを届ける側も、エンタメを楽しむ方もたくさん悩んで選択したからこそ、

全肯定してくれる水心子君の言葉がどれだけ心強かったか。

 

ミュージカルパートのラストの曲の

「これは問わず語り 聞いてほしかったひとりごと」

って歌詞が、もうすべての答えじゃんね。


そうそう、今回2部のライブパートににソロ曲がなかったんですよ。

8振りという多さもあるだろうけど、それだけじゃなくって

今回は「1人にしない」っていう意図もあったのかな、なんて思っています。

こんな時期だしね。

 

地震の影響で中止になったりと、なかなか一筋縄ではいかない公演ではありますが、

いろいろなところに素敵な花を咲かせて戻ってきてくださいね。

 

東京で、待ってます。

ミュージカル『刀剣乱舞』東京心覚 初見の感想

なんだか、散文詩みたいな物語でした。

余白が多くて、そこにこそほんとうの想いがあるような。


物語を読み解くには、1回の観劇では無理かもしれない。だけど今思ってることを書き留めておきたいと思います。

誰かの解釈が自分の答えにすり替わる前に。

 

今回は「東京」の物語。とてもメタな、今の「東京」が基軸になっているのかな、と。

太田道灌によって江戸城が築かれ(室町時代

南光坊天海によって江戸が守られ(江戸時代)

勝海舟によって江戸城が明け渡された(幕末)

その先に、今の東京がある。

 

※追記

平将門の東国から描いてましたね!

 


「歴史とはなんなのか」

ずっとこの問いが投げかけられているわけだけれども、もちろん答えなんてなくて。

勝者が語ったものが「歴史」として残っているけれど、そこには「勝者じゃない」(敗者ですらない)何者でもない人たちが確実に生きている。そんな人たちの数多の想いがあったはずなのに、語られることすらない。


『東京心覚』は、そんな名もなき人たちの「想い」がさらさらさらと積み重なってできた「東京の記憶の物語」なのかな、なんてふと思いました。「さらさら」という擬音は『名もなき径』にも出てきたよね。物語を持たぬ巴形薙刀の歌に。

そして、水心子が出会った、面を着けた女の子の言葉もまた「さらさら」なんだよね。

なにかの概念を可視化したのがあの子だろうとは思っていたのだけれど、おそらくあの子は誰でもない、

名もなき誰かで、名もなきアタシで、名もなきアタシたち。もしかしたら「想い」そのものかもしれない。

 

※追記

女の子の言葉は「ささささささ」でした。

 

平将門の怨霊によって疫病が流行ったなんて言われた時代もあったりしたから、コロナと重ね合わせているのかな、なんて。結界はもしかしたら、ソーシャルディスタンスのような、見えない壁のようなものの隠喩なのかも。


コロナなんて「なかった方がいい歴史」に違いないし、ここに繋がってしまうのなら本当にこの歴史を守る必要があるのか?という疑問に辿り着くのは難しいことではない。

 

それでも、男士たちはこの現代の東京に絶望することなく、アスファルトのように固くなってしまったアタシたちの心をツルハシで少しずつ壊し、結実しない、でも美しい花を植え、寄り添ってくれた。疑問を抱いていた水心子くんは、答えを見つけてアタシたちがいる今を全肯定して手を差し伸べてくれた。

 

なんて強烈でメタすぎるエールなんだろう。

理解にたどり着く前に、心に響いてボロボロ泣いてしまったのは、きっとそういうことなんだろうな。

 

太田道灌の山吹の逸話だとか、蓮や竜胆や葵といった花と「名もなき草」の対比とか、三日月さんの機能と呪いの件とか、新々刀と江に役割だとか「問わず語り」だとか気になることは山ほどあるのだけど、まだ理解が追いついていないので、これに関しては次の観劇で補完しようと思います。

 

 

それにしても今回みんなみんなみ〜〜〜〜〜〜〜〜んな歌うまいな!?!?!?!?!?

あとド級に顔がいいですね……実はアリーナ前列だったので、高解像度で浴びて脳がバカになりそうでした!