なんだか、散文詩みたいな物語でした。
余白が多くて、そこにこそほんとうの想いがあるような。
物語を読み解くには、1回の観劇では無理かもしれない。だけど今思ってることを書き留めておきたいと思います。
誰かの解釈が自分の答えにすり替わる前に。
今回は「東京」の物語。とてもメタな、今の「東京」が基軸になっているのかな、と。
南光坊天海によって江戸が守られ(江戸時代)
その先に、今の東京がある。
※追記
平将門の東国から描いてましたね!
「歴史とはなんなのか」
ずっとこの問いが投げかけられているわけだけれども、もちろん答えなんてなくて。
勝者が語ったものが「歴史」として残っているけれど、そこには「勝者じゃない」(敗者ですらない)何者でもない人たちが確実に生きている。そんな人たちの数多の想いがあったはずなのに、語られることすらない。
『東京心覚』は、そんな名もなき人たちの「想い」がさらさらさらと積み重なってできた「東京の記憶の物語」なのかな、なんてふと思いました。「さらさら」という擬音は『名もなき径』にも出てきたよね。物語を持たぬ巴形薙刀の歌に。
そして、水心子が出会った、面を着けた女の子の言葉もまた「さらさら」なんだよね。
なにかの概念を可視化したのがあの子だろうとは思っていたのだけれど、おそらくあの子は誰でもない、
名もなき誰かで、名もなきアタシで、名もなきアタシたち。もしかしたら「想い」そのものかもしれない。
※追記
女の子の言葉は「ささささささ」でした。
平将門の怨霊によって疫病が流行ったなんて言われた時代もあったりしたから、コロナと重ね合わせているのかな、なんて。結界はもしかしたら、ソーシャルディスタンスのような、見えない壁のようなものの隠喩なのかも。
コロナなんて「なかった方がいい歴史」に違いないし、ここに繋がってしまうのなら本当にこの歴史を守る必要があるのか?という疑問に辿り着くのは難しいことではない。
それでも、男士たちはこの現代の東京に絶望することなく、アスファルトのように固くなってしまったアタシたちの心をツルハシで少しずつ壊し、結実しない、でも美しい花を植え、寄り添ってくれた。疑問を抱いていた水心子くんは、答えを見つけてアタシたちがいる今を全肯定して手を差し伸べてくれた。
なんて強烈でメタすぎるエールなんだろう。
理解にたどり着く前に、心に響いてボロボロ泣いてしまったのは、きっとそういうことなんだろうな。
太田道灌の山吹の逸話だとか、蓮や竜胆や葵といった花と「名もなき草」の対比とか、三日月さんの機能と呪いの件とか、新々刀と江に役割だとか「問わず語り」だとか気になることは山ほどあるのだけど、まだ理解が追いついていないので、これに関しては次の観劇で補完しようと思います。
それにしても今回みんなみんなみ〜〜〜〜〜〜〜〜んな歌うまいな!?!?!?!?!?
あとド級に顔がいいですね……実はアリーナ前列だったので、高解像度で浴びて脳がバカになりそうでした!