それが……メサイア! 「メサイアー黎明乃刻ー」

 なんか10月入ってから仕事がバッタバタでちゃんと振り返られなかったな……ってことで、書きかけの記事をようやくまとめています。では、あらためて。

 

ついに「刻」、そしてすべてのメサイアシリーズが完結するということで、見届けてきました「メサイア-黎明乃刻-」。

 

 この界隈にいて、その名を耳にしたことがない人はおそらくいないであろう作品のひとつが「メサイア」だと思ってます。かくいうアタシも、てんごに片足突っ込んだ時点でプレゼンされました。なるほどそういう舞台があるのね。設定を聞いて、あまりの厨二感に「うちは間に合ってますんで!」みたいな感じで笑っていました。いたんですよ。そんな時期があったんです。そしたら推しが参戦するっていうじゃないですか……。

 せっかく見るなら舞台のエモさ知りたいということで、予習しました。でも、やっぱり後追いなこともあってそこまでどっぷりって感じじゃなかったです。まあちょろいんですっげー泣いてたんですけど。

 そんな感じで、メサイアには悠久乃刻から本格的に見始めたわけなんですが、リアルタイムで追いかけるってこういうことなんですね……。

 

 この舞台はキャス変がなく、ひとりが同じ役を演じ続けます。そしてほぼ当て書き。それゆえ、キャストと役柄が同化していくんですよね。だから、「役を背負っている」のに、「役者がむき出しになる」っていうパラドックスが生まれるんです。追ってなかったら多分知らなかったろうな。

 

前置きが長かったですね。

やっと本題です。

 

 おそらく大人の事情であろう、脚本家と演出家がこの作品を最後に離れるというアナウンスもあり、いったいどんな結末を迎えるのか、本気でビビってたんです。かつてのサクラ候補生(あのめちゃんこカッコいいコート着てる人たちだよ❤️)のような卒業ミッションがないどころか、ワールドリフォーミング撤廃。カオスにカオスを混ぜたような状態になっていて、刻シリーズ完結!みたいな晴れやかなものとは言い難かったんですよね。

だからこそ、見届けなければって強く思ったわけで。

 

 蓋を開けてみれば、これがおそらく「最適解」だったんだろうなという結末でした。ストーリーそのものに関しては、演出の段階でガンガン変わるっていうのもあってガバな部分もたくさんあります。それでもこっちの心をとらえてがんがんに揺さぶってくるのは、キャラクターがそこに生きているからなんだよな。前述のようにキャラクターと役者が同化していって、その葛藤や怒り、悲しみ、すべての感情がダイレクトに伝わってくる。原作ありきのキャラクターではなく、役者自身から生み出されたいわば分身のような役を演じ続けるという、メサイアの特殊な作りがそうさせるんだと思います。虚実皮膜。そういうことか。

  

 印象的なシーンは上げていったらきりがないけど、やっぱり小暮と一嶋の親子ゲンカ()のシーンがこの作品の軸なのかなって個人的には感じています。自分自身っていうのは、他者を通じて初めて見えてくるもんなんだよね。それが小暮にとっては雛森であり一嶋さんだったんだろうなって。バリバリ説教セリフだったけど、ありったけの力でぶつかりもがく小暮と、それを全身で受け止め導いていく一嶋の姿に毎回号泣してたな。そして前半と後半で、雛森と小暮の役割が入れ替わっていたのも熱かった。

 

  黎明は「許し」の物語だったのかな、なんて思っています。それぞれのことを大切に思うが故の愛が枷になってしまい、進むことができなかったサクラ候補生たち。雛森にとっては園が、万夜にとっては小太郎が、そして小暮にとっては自分自身だったんだろうね。でも、それに向き合い、許すことでようやく前に進めたんだろうな、と。許しの形はそれぞれだったわけですが。

 

 夜明け前が一番暗い、とはよく言ったもので。そこからの、黎明なんだもんね。

 

 もう続きを見ることは叶わないのだけれども、物語は、そして彼らはアタシらのなかに生き続けます。素敵な作品を繋いでいただきありがとうございました。