「葵咲本紀」のタイトルについての雑感。

余白に物語が詰め込まれすぎていて、ずっとずっと「あおさく」のこと考えてます。
作中で明言されてないことが多いんだけど、きちんと“描かれて”はいるんだよね。

 

さて、今日はタイトルについて。
「三百年の子守唄」は石切丸が書いた手記につけたものですが、「葵咲本紀」は今作の手記を書いていた蜻蛉切がタイトルに悩んでいたときに、村正がつけたタイトルです。
(「徳川実紀」にかけてる?)

 


「葵」はもちろん徳川家のことだろうなと思ったんですけど、作中で印象的につかわれたのは、徳川家の三つ葉葵ではなく、花のほうでしたね。もちろん、両方にかけてはいるんだろうけれども。
葵の花をとっても、「同じものはひとつとしてない」と、父・家康に伝える信康。
葵の花は、徳川四兄弟を指しているのかな。そして、ひらひら舞う葵の花びらを掴めなかった秀康……。

 

そして、なんてったてエモい(安い言葉で失礼!)のが、「咲」なんですよね。
「咲」にはもうひとつの意味があるんです、とだけ残して去っていった村正。なんだろうなと思ってちょっと調べたら、「笑」の古字だっていうじゃないですか!

 

「笑」っていうのは、みほとせで繰り返し言われてきた言葉です。

 

「どうして父がおらぬのじゃ?」と落ち込む幼い竹千代(のちの家康)に、鳥居元忠に扮した物吉くんは言うんです。「笑顔がいちばんです!」って。どんなに落ち込んでいても、笑顔でいれば自然と気持ちが晴れる、と。信康もその教えを受け継いでいましたね。そして青江も、ひとりで抱え込もうとしていた石切丸に、「隣で笑うことくらいならできる」と伝えました。

 

そう、ちょっと乱暴に言ってしまうと、みほとせは「笑顔」の話でもあるんですよね。


今作では、史実通りに元忠が亡くなります。家康と元忠の関係はこの辺を読むと理解が早いかもしれません。

【すべては家康のために】三河武士の鑑!伏見城と共に散った鳥居元忠 | 歴人マガジン


鳥居元忠が亡くなった知らせを聞いた家康はその死を悼み、天に向かって問いかけます。
「のう、元忠。わしはうまく笑えてるか?」
自分に笑顔を教えてくれた元忠に対してこの言葉なんです。涙が止まりませんでした。


そんな「笑」の意味をもつ「咲」をタイトルにもってきた村正の優しさよ……。

誰かのために戦う男士たちは強いと、確固たる主を持つ刀たちに羨望のまなざしをむけていた村正。たしかに村正という刀が背負っている物語ではそうでもないのかもしれないけれど、この本丸であなたは「誰かのために」戦ってきたよね。そんなことを思ったり。

 

「三百年の子守唄」という長い長い任務のなかの「葵咲本紀」。

ホントに素敵なタイトルだなって改めて思います。「ショウ」と読ませたのは、そういうことだったんですね。